鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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― 414 ―㊳ 幕末から明治期社会における〈浮世絵〉の果たした役割に関する動態的研究―浮世絵師芳年の端境期における制作を中心に―研 究 者:学習院大学大学院 人文科学研究科 博士後期課程  庵 原 理絵子はじめに幕末明治期の浮世絵師には、人々の要求や欲望を敏感に吸収しながら混乱した世相を写し取り、新たな時代にも柔軟に応じたことから、明治を迎えても活躍の場を見出した者が多い。その代表的存在が月岡(大蘇)芳年(1839−1892)である。武者絵を得意とした歌川国芳に入門し、慶応2年には兄弟子の落合芳幾(1833−1904)と「英名二十八衆句」シリーズを発表、他にも「魁題百■相」など幕末の戦乱の世を反映させた作品を刊行した。明治以降は写実的な描写で人気を博し、浮世絵の「泰斗」とまで称されていた。絶大な知名度の背景には、芳年の孫弟子でもある鏑木清方が「挿絵の改革者」と記すように(注1)、近代に発展する「新聞」の挿絵界で活躍することで幅広い支持層を得ていた点が挙げられる。また活版印刷の登場により江戸近世文学の流行と復興が興るなか、歌川派の後継者としての筆を活かすことで人々のもとめる「江戸浮世絵」も表現していた(注2)。芳年は新たな表現を模索しながら出版メディアを巧みに利用することで活路を見出した。しかし一般市民が急激な新時代の到来に戸惑いを見せるのと同様、芳年も「職人絵師」から「画家」へ、更にはファイン・アートとしての「美術」へ、そして「江戸」から「明治」への意識の切り替えや推移は単線的なものではなかった。時に新体制や時流に便乗しつつ、一方で■藤や反発を内包しながら、この興味深い端境期に様々な試行錯誤を試みていた。過渡期の混乱した時勢に、新時代の都市空間や情報メディア、新風俗などへの好奇な眼差しはいかに消費されたのか。未だ江戸時代の意識が残存する人々は「江戸」的な要素を何処に求めていたのか。近世と近代とを截然と扱うのではなく連続的な局面として捉えたとき、その重層性を検討するうえで〈浮世絵〉は極めて有効なジャンルでありメディアのひとつである。浮世絵は時勢が迅速に反映される一方、明治期になると人々が江戸の諸生活を顧みる上で重要な役割を果たしていたからである。本稿では、芳年の明治期における作品に的を絞り、まず挿絵を通して絵師と「異国」表象について述べ、次に新都市「東京」における浮世絵の広告的機能に関して、最後に旧幕臣の動向を手掛りに社会背景を鑑みながら時事的題材を扱った作品を考察する。幕末明治期における制作活動の実態、作品の受容及びイメージが如何に流通し消費されたのか、この二つの観点から〈浮世絵〉の役割を検討し、近世と近代の関係性

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