鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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― 416 ―フの場面を描いた画を見ると、日本の画家の単純な気持ちと素朴な創造に驚く。エカテリーナ皇女は日本人女性のような細い目の人として描かれ、グリニョーフは肩からリボンを付けた陸軍将官のような軍服の姿、ベロゴールスク城へサベリーイチと一緒に向かうプガチョフが縮毛の黒人の姿として描かれている。画家は、顔も、服装も何も考えていなかったようだ。」(注6)芳年の挿絵はロシアの文化や人物像とかけ離れた、自国の読者から見れば奇妙に映るようなものだったのだろうか。挿絵第2図を見てみると画面向かって右手に「黒人のような姿」と評されたプガチョフが〔図2〕、第4図で主人公は胸章や肩章付きの軍服を着ており〔図3〕、第5図には寺院を想定した空間を背景に「おかしな服装」と紹介された神父夫妻と縞模様の衣服を着た主人公の姿〔図4〕、第6図はロシアの宮廷の庭園場面であるのに対し、南洋植物のような樹が描かれている〔図5〕。本文には上述した点に関連するような記載は一切ない。エカテリーナだけでなく、登場人物の面貌は日本化されている。『花心蝶思録』の翻訳者高須治助が底本に用いたのは、ゲンナーヂ編『プーシキン全集』第二版第四巻イサーコフ出版社の『大尉の娘』とされているが(注7)、筆者が確認したところ、挿絵は一図もなかった。上述した挿絵を検討する限り、芳年は当時アフリカ大陸やインドなど西洋の植民地の様相を伝える記事を頻繁に掲載していた新聞や雑誌を参考にした可能性が考えられる。新聞社の社員であった為、資料となりうる西洋の記事を入手しやすい環境にいた。現時点では制作の手掛りとした原資料を探している段階だが、挿絵を見ると「異国」イメージを上手に伝える点で成功している。そして芳年に求められたのはまさにそのことであった。雪中を走る馬車に後ろ姿の人物像、西洋の調度品や服装、建築空間など、幕末期に描いた西洋の人物像と比べれば、自らの中での西洋表現の消化が格段に進んでいることがわかる。翻訳者や校閲者、読者も芳年の挿絵を違和感なく受け入れていたことは再版の際に同じ挿絵が使用されたことからも明らかである。一般の読者は芳年らの挿絵を糸口として「異国」を理解していた。小野忠重は本挿絵に対して「芳年のあのギクシャクした線描の画稿をエッチングでけんめいにうつす涙ぐましい努力」(注8)を見たが、画面をいかに「異国風」に見せるか、当時の石版画銅版画の影響力も考慮する必要がある。本稿では一例を紹介するに留めるが、絵師が「異国」イメージを伝える役割と如何に格闘し、受容者はどう受け取っていたのか、浮世絵師の制作活動と当時の作品受容を検討するうえで重要な問題だと考える。

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