鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
438/597

3.台湾の女子教育と日本画─家庭の中からの同化台湾人女性画家が台展・府展の東洋画部へ集中したこと、およびその時期については、郷原の存在に負うところが大きく、植物が主な題材になったことも郷原の指導と切り離すことはできない。しかし、専門的な美術教育機関がない中で日本画を習得することは容易ではなく、官展へ出品する作品の制作には広い場所の確保や高価な材料の調達も欠かせなかったはずである。それでは、恵まれた環境とは言い難い中で、なぜ台湾人女性たちは日本画を選択したのだろうか。それは、郷原の優れた指導力や官展での影響力にのみ帰されることなのだろうか。台湾で近代絵画を学ぼうとしたとき、郷原に師事する以外に多くの選択肢がなかったとしても、台湾人女性を日本画へ導いた背景について、いま少し考えておくべきように思う。― 428 ―かは、黄新楼、張敏子、張麗子、林玉珠ら1920〜22年生まれの新たな二十歳前後の画家であった。さて、郷原は指導において写生を重視した。郷原と木下による第1回台展の審査基準もそこにおかれ、粉本に依拠した伝統絵画や文人画風の作品は落選し、代わりに陳進、林玉山、郭雪湖ら新進画家の写生に基づく「日本画」が入選した。この結果が第2回以降の東洋画部の方向を決めた。台湾人女性画家の入選作に植物写生的なものが多いのは、官展における写生重視の評価基準と郷原の指導を反映しているだろう。また、美術の専門教育を十分に受ける機会のなかった台湾人女性画家にとって、植物は比較的習得しやすく自己表現が可能な題材であった。さらに植物は、女性が遠出する必要のない、身近に観察できる便利な対象でもあっただろう。現存する入選作が少ない中で、いまなお鮮やかな状態の林阿琴の第6〜8回の作品は、いずれも上品で洗練された色使いを特色とし、画面構成にも配慮されている。とくに《南の国》(1932年、個人蔵)〔図1〕は、画面の中央の小枝にとまる真っ赤な南国の鳥が、緑濃い水辺や木々の茂みと好対照をなす清々しい作品である。また、黄早早の《林投》(1935年、台北市立美術館蔵)〔図2〕は、巨大な椰子が右から左奥へと湾曲して横切る意表をつく構図が印象的である。画家の個性的な創造力や構成力をうかがわせるが、結婚後の黄早早がふたたび展覧会へ参加できるようになるのは、半世紀も後のことであった(注7)。ほかに、邱金蓮、張李徳和、黄新楼の植物を主題にした入選作が現存している(注8)。大局的には、台湾人の日本人への同化政策がその背景にあっただろう。それに必要なこととして、日本語の習得とともに国民精神の涵養が様々な局面で説かれた。台展

元のページ  ../index.html#438

このブックを見る