鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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1.セバスティアーノによる石の絵画セバスティアーノに帰属される石の絵画は、現存する限りで9点が確認される〔表1〕。ハーストの見解に従えば、これらは1527年のローマ劫掠の後、画家が避難先からローマに戻った1529年以降に制作された(注4)。その根拠は、教皇私室長官を務めていたヴィットリオ・ソランツォからピエトロ・ベンボに宛てた1530年6月8日付けの書簡において、ソランツォが当時のローマの最新の情報として、「セバスティアーノが大理石に美しい油彩で描く秘法を発見した」と伝えていることによる(注5)。この見解は、何点かの作品の図像的特徴から見ても妥当であるように思われる。以下、制作年および図像内容を確認しながら、作品を主題別に概観したい。― 450 ―まず石の絵画9点を主題別にみるならば、4点を肖像画、5点を宗教主題に分類することができる。肖像画4点のうち、3点は教皇の肖像で、すなわちゲッティ美術館所蔵の《クレメンス7世の肖像》〔図1〕、ナポリにある《髭のあるクレメンス7世の肖像》〔図2〕、そしてパルマにある《パウルス3世と甥の肖像》〔図3〕である(注6)。パウルス3世の肖像は、日常衣をまとった教皇を描いた半身像であるが、1534年から49年という教皇の在位期間を考えるならば、制作年は早くとも1534年以降と特定される(注7)。また2点のクレメンス7世の肖像画は、髭のある教皇の姿を描いた作品であるが、クレメンス7世が髭を蓄えていたのは、劫掠の後、1528年12月から没するまでの間のことであるため、制作年はセバスティアーノがローマに戻った1529年から教皇が没する1534年までの間と考えて差支えないだろう(注8)。肖像画のうちの残る1点は、ウフィツィ美術館所蔵の《バッチョ・ヴァローリの肖像》〔図4〕である。ヴァザーリが「信じられないほど美しい」と評したこの肖像画は、画家とヴァローリの最初の接触を裏付ける書簡の年代より、1531年頃の作とされる(注9)。6点の宗教主題の作品のうち3点は、十字架を背負うキリストを描いた作品である。一つは皇帝の駐ローマ大使シフエンテス伯爵のために描かれたエルミタージュ美術館所蔵の作品〔図5〕、もう一つはエルミタージュ作品に類する構図で描かれたプラド美術館所蔵の作品〔図6〕、もう一つはヴァザーリが言及している作品で、アクイレイアの大司教のために描いたブダペストにあるもの〔図7〕である(注10)。いずれの作品も後期作品に見られる苦悩の表現と瞑想的な雰囲気が顕著であることから、セバスティアーノが1531年に聖職であるピオンバトーレ(鉛封印官)に任命された後の作とすることで衆目の一致をみている。エルミタージュの作品に関してはとくに、伯爵が大使に任命された1533年以降に注文されたものと考えられる。残る2点の宗教画のうち、《ウベダのピエタ》〔図8〕は、1533年末頃にフェッラン

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