2.油彩画法による壁画制作の試み上記において確認したように、セバスティアーノによる石の絵画はすべて、画家がローマに戻った1529年以降に制作された。だが実際のところ彼は、油彩による石のタブロー画の制作に取り組む以前から絵画技法の探求に熱心であり、とくに壁画制作において、独自に編み出した技法を積極的に実践していた(注13)。― 451 ―テ・ゴンザーガの依頼のもと、皇帝の顧問官でもあったサンティアゴ騎士団のフランシスコ・デ・ロス・コボスに贈るために制作された(注11)。画面向かって左下に画家のサインが記されている。そしてカポディモンテ美術館所蔵の《幼い聖ヨハネのいる聖家族》、通称《幕の聖母》〔図9〕は、1525年に板に油彩で描かれた同主題の作品の構図を反転し、細部に改変を加えた作品である。《ウベダのピエタ》が発注された後、代理人たちの間で交わされた1533年付けの書簡において言及されている作品との関係を考慮に入れた場合、制作年は1533年以降と推測される(注12)。なお、1526年に委嘱されたサンタ・マリア・デル・ポポロ教会キージ家礼拝堂の《聖母の誕生》もまた石を支持体とする作品であるが、上記の9点が石板に描かれているのに対し、ペペリーノと呼ばれる堆積岩を支持体としており、また作品の規模や設置状況が異なるため、今回の調査対象からは除外することとする。そうした態度は、ローマでの最初の仕事である《ポリフェモス》〔図10〕においてもすでにあらわれている。壁画の修復報告によれば、画家はこの壁画において、粉砕したレンガを混ぜ合わせた褐色の漆喰を用いている(注14)。この漆喰は乾燥したローマの気候には不向きであり、壁画の一部はテンペラ画法で仕上げられている。セバスティアーノがこうした独自の技法を用いたのは、気候や造形文化の異なる土地での制作を強いられ、かつブオン・フレスコに習熟していなかったことも一因にあろう。だが一方で、色つきの漆喰を用いたのは意図的な行為であったとも考えられる。なぜなら漆喰が褐色であることにより、《ポリフェモス》の色彩は全体的に独特のすみれ色がかった色調を呈しており、すなわち描画層に施された有色の漆喰が下地の役割を果たしているからである。セバスティアーノはおそらく漆喰そのものに色を付けることによって、フレスコ画において油彩画のような下地の効果を生み出すことを意図していたと考えられる。次の壁画制作、すなわち1516年に着手したサン・ピエトロ・イン・モントーリオ教会のボルゲリーニ家礼拝堂内の壁画制作において、セバスティアーノはアプシスを除くすべての壁画を油彩画法で描いた(注15)〔図11〕。ヴァザーリによれば、ここでセ
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