注⑴M. Hirst, Sebastiano del Piombo, Oxford, 1981, pp. 124−126.⑵C. J. Hessler, “The Man on Slate: Sebastiano del Piombo’s Portrait of Baccio Valori and Valori theYounger’s Speech in Borghini’s il Riposo”, Source: Notes in the History of Art, vol. 25, n.2(2006), pp.18−22.⑸Ibid., p. 124.⑹《クレメンス7世の肖像》については、, Acquisitions/1992, The J. Paul Getty Museum Journal, 21(1993), p. 116; Papi in posa: 500 Years of Papal Portraiture(Exh.cat), edited by F. Petrucci, Rome,2005, p. 62, no. V、《髯のあるクレメンス7世の肖像》については、M. Lucco, L’opera completa di⑶M. Chiarini, “Pittura su pietra”, in Antichità viva, vol.9, n.2(1970), pp. 29−37.⑷Hirst, op. cit., p. 158. ハーストによれば、セバスティアーノは劫略の後、数か月のうちにヴェネツィアに帰ったか、あるいはそのままローマに留まった後、1528年の春には教皇の避難先であるオルヴィエートに滞在していた。その後、1528年から29年のある時期にはヴェネツィアにいたことが記録されている。― 457 ―映されていると考えることができる。以上を踏まえるならば、セバスティアーノによる石の絵画は、ローマ劫掠という社会的事件を機に生じた作品の耐久性に対する要求に応えるものであったと考えることができるだろう。結語以上、本研究においては、セバスティアーノの石板画を研究対象とし、まずは石の特性および技法上の利点を浮き彫りにすることによって、制作の動機を解明することを試みた。その結果、油彩画の支持体に石を採用することにより、石の固有色を下地として活用し得ること、また絵画の物理的耐久性が強化されるという点が明らかとなった。さらに、当時の社会的状況との関わりを考察することにより、石の絵画が制作された背景に、ローマ劫掠を機に生じた絵画の耐久性に対する需要に応える目的があったことを明らかとした。セバスティアーノが発明し、実践した石を支持体とする油彩画は、後世に引き継がれることはなかったが、当時の文化的、社会的環境との密接な関わりのなかで生み出された技法であった。彼の石板画は、カンヴァス画が主流となり、フレスコ画法が確立したルネサンス時代のローマにあって、なお新しい表現に向けての試行錯誤が試みられていたことの証であり、また16世紀初頭の文化的成熟と社会的変動のなかでこそ生み出された、まさにイタリア・ルネサンス時代を特徴づける作例と見なすことができるだろう。
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