鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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― 464 ―できよう。その前提に立ち報告者は、千手観音関連経典の中でも唯一明確なストーリーを持ち、曼荼羅型の千手観音像を説かない七世紀初頭、伽梵達磨訳の『千手千眼観世音菩薩広大円満無疑大悲心陀羅尼経』(以下『千手経』)が四川の大悲変相龕図像の骨子にあるものと考えて図像比定を行っている。『千手経』は、補陀落迦山道場において釈迦が菩薩、声聞、天人、天子、四天王、天、天女、自然界の神々を対象に説いたものとして記される。そしてこの会衆の中に観世音菩薩がおり、神通力によって金色の光を放った後に、自分が前世に「大悲心陀羅尼」を会得し、その際に光明が十方無辺の世界を照らしたこと、そして観音が陀羅尼の功徳により衆生を救うことができる証として、千手千眼を得たことを説く。さらに観音が釈迦に向かって、会衆に「大悲心陀羅尼」の功徳を説きたいと申し出た所、釈迦がこれを許可し、観音と釈迦がともに「大悲心陀羅尼」の誦持法とその功徳を説く、というのが『千手経』の大筋である。しかしながら、四川に残る大悲変相図における中尊左右乗雲像の構成を観察すると、その中には説法の場に参じた会衆と、陀羅尼誦持者のもとへ千手観音が派遣するという諸尊の両方が含まれることが明らかとなる(注4)。更にこれらの作例の中には、臨場感を持って表される左右群像よりも、一際小さなスケールで中尊の頭上に如来坐像を表す一群が見られる。左右群像とは別格の存在をより象徴的に表す表現として、注目に値しよう。本来であれば異なる次元に属する筈のこれら群像は、いかなる理由から一堂にあらわされるのであろうか。四川の大悲変相図を解釈するに当たってはまず、重層的にあらわされる構成諸尊を分類し、経典中の位置づけを確認する必要がある。本研究はその試みの一環を成すものであり、中でも特に四川省の成都盆地西部に集中する、千手観音像の頭上に如来像を配する、八世紀半ばから九世紀初頭の作例を取り上げた。調査対象とした丹稜県劉嘴摩崖造像、邛■市石笋山摩崖造像、同花置寺摩崖造像の作例六件につき、特に本研究に関係する千手観音頭上の図像に重点を置きながら、摩崖の概況と各龕の造像内容を紹介する。その後に若干の考察を述べたい。調査結果1.丹稜県劉嘴山摩崖造像(市級文物保護単位)劉嘴山摩崖造像は丹稜県城の西北約十二キロメートルの地点にあり、二つの岩塊に計八十四龕、二千三百九十三尊を彫出する。同摩崖は深さ六十メートル程の谷の南側に位置し、谷を挟んで北側には、同じく市級文物保護単位の鄭山摩崖造像が向かい合う(注5)。最古の記年としては、第八号龕の題記に天宝十二年(七五三)の年号が

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