― 465 ―見られる。しかし千手観音龕の第三四・四五・五二号龕は、いずれも元和十三年(八一八)銘のある第三七号龕と、長慶年間(八二一〜八二四)と見られる記年銘のある第五三号龕の近辺に彫られており、九世紀前半の作である可能性も否めない。①第三四号龕〔図1〕龕高一〇二センチ、幅八五センチ、奥行き四三センチの方形二重龕である(注6)。内龕正壁中心に千手観音像を、その周囲に九十九体以上の群像を表す。中尊千手観音は髷を結いあげ、天衣・条帛・裙を纏って胸飾・瓔珞・腕釧を着け、裳懸を施した蓮台上に結跏趺坐する。大手は計二十四臂が確認できる。大手の外側に同心円状に小手を浅浮彫する。頂部に半球形の飾りを表した八角形の天蓋を頂く。正壁、千手観音天蓋の上方には横一列に五体の像を表すが、下半分が風化する〔図2〕。中心の一体は如来像で、衣を通肩に纏い両手で腹前に球状の持物を執り、天蓋頂部の半球形の上に結跏趺坐する。如来像左右に立像各一体を表す。右側の立像は胸前で合掌することが確認できる。その左右に各一体の像を表す。ともに中尊側の腕を上方に振り上げることが確認されるが、下半身の形成は不明である。外龕の左右正壁には唐草文様を彫り、龕床上に明王像を表す。外龕左側壁に一箇所、右側壁に上下二箇所の付龕を設ける。②第四五号龕〔図3〕龕高九九センチ、幅九五センチ、奥行き五一センチの方形二重龕である。内龕正壁中心に千手観音像を、その周囲に少なくとも七十八体の群像を表す。中尊千手観音は天衣・条帛・裙を纏って胸飾・瓔珞・腕釧を着け、蓮台上に結跏趺坐する。大手は計三十八臂が確認できる。大手の外側には掌中に一眼を刻んだ小手を同心円状に浅浮彫する。天蓋は頂部に表面に蓮弁を刻んだ宝珠形を乗せる。正壁、中尊天蓋の上方には横一列に五体の像を表す〔図4〕。中心の一体は如来像で、衣を通肩に纏って両手を腹前に置き、光背を負って天蓋頂部宝珠形の上に乗る蓮台上に結跏趺坐する。如来像左右には雲上に菩薩立像各一体を表す。左像は天衣・裙を纏い、胸飾と瓔珞をつけ、左手を体側に沿って垂下し、右手で胸前で持物を執り、光背を負って立つ。右像は天衣と裙を着けるが風化により他は不明。その左右には力士像各一体を表す。いずれも肩にかけた天衣を頭上でアーチ型に翻し、短裙を着け、如来像寄りの腕を上方に振り上げ龕口寄りの足を踏み下げて岩座上に坐す。外龕の左右正壁上部には斜■を表し、その下方には唐草文様を浅浮彫する。
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