鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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2.邛■市石笋山摩崖造像(省級文物保護単位)石笋山摩崖造像は、邛■県城から西北に約三〇キロ離れた孔山の山上にあり、総計三十三龕、七百三十九尊の仏龕が並ぶ(注7)。同摩崖は第二七・二八号龕の下に大暦三年(七六八)の記年を持つ「石笋山菩提釈迦二像龕銘」が刻されており、千手観音龕である第三・八号龕を含め大半の造像が中唐時代に行われたと推定される(注8)。― 466 ―③第五二号龕〔図5〕調査時、当龕には養蜂用の巣箱が嵌め込まれており、直に図像を確認することができなかった。以前に写真で確認し得た限りの図像を挙げる。龕高九七センチ、幅八五センチ、奥行き二九センチの方形二重龕である。内龕の正壁中心に、台座上に倚坐する千手観音像を表す。その周囲には乗雲像をはじめ、多数の群像を表す。中尊千手観音は髷を結いあげ、天衣・条帛・裙を着ける。胸飾・瓔珞・腕釧を着け、両足で蓮華を踏み割り、裳懸を施した方形台座上に倚坐する。大手は計二十四臂が確認でき、正中線上には三対八臂が残る。最上段の二手は頭頂部の上方へ伸ばして指先を天蓋の下へ添える。その下の二手は胸前に表すが、肘先を欠失する。最下段の右手は腹前に置く。この二手は手先の上半分を欠失するものの、第二指の第二関節を合わせることが確認され、当初は弥陀定印を結んだものと思われる。大手の外側には同心円状に小手を浅浮彫する。天蓋は頂部に蓮弁で覆った半球形を乗せる。正壁、中尊天蓋の上方には横一列に五体の像を表す。中心の一体は如来像で、衣を通肩に纏い、両手を腹前に置き、光背を負って天蓋上の宝珠の上に乗った蓮台に結跏趺坐する。如来像左右に胸前で合掌する立像各一体を表す。その左右に各一体の像を表す。ともに龕口寄りの腕を下方へ伸ばすことが確認されるが、風化により下半身の形成は不明である。外龕の左右正壁上部には斜■を設け、その下に唐草文様を浅浮彫する。①第三号龕〔図6〕龕高三〇三センチ、龕幅二三七.五センチの方形二重龕である(注9)。台座上に結跏趺坐する千手観音像を奥壁中央に表し、その周囲を百体前後の乗雲像が取り囲む。中尊千手観音像は、髷を結い上げて山形宝冠をつけ、天衣・条帛・裙を纏う。胸飾・瓔珞・腕釧をつけ、裳懸を施した台座上に結跏趺坐する。大手は計三十六臂が確認で

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