― 468 ―二段の平行線を浅浮彫し、その内側に複数の像が確認できる。平行線上の正壁中央には宝珠形頭光と身光を負い、両手を腹前に置いて坐す如来像を表す。やや間隔を開けてその左右に宝珠形頭光と身光を負う坐像各一、さらに間隔を置いて上方から雲に乗って飛来する如来坐像複数を表す。これらの像の間には、平行線上に入母屋式の屋根を架ける単層の建築物を複数配置する〔図8〕。また、今回の調査では確認できなかったが、二〇〇三年に早稲田大学が行った調査の報告に依れば、中央に表した如来像の頭上には華蓋を表し、これと如来像頭光の間に樹葉が彫出されていたという。考察・結語―光明中に表される如来群像について以上、四川省成都盆地南部に位置する丹稜県の劉嘴山摩崖造像第三四・四五・五二号龕、並びに成都盆地西部、邛■市の石笋山摩崖造像第三・八号龕と、花置寺摩崖造像第一二号龕の大悲変相図において、中尊千手観音の上方に如来像を表すという共通点が見られることを確認してきた。ここに整理してみると、劉嘴山摩崖造像の三例はどれも一様に、天蓋上の装飾の上に表した如来像を中心に左右に各二体を配し、計五尊を並べていた。第三四号龕と第五二号龕に関しては、風化により像の詳細が確認し難かったが、三龕ともに如来左右の二像を立像とすることや、その外側左右に表す二像が片腕を上方へ振り上げ、もう一方を下方へ伸ばす点は同じである。最も残りの良い四五号龕の図像を手がかりに当初の像を復元するとすれば、三龕ともに如来左右の像は菩薩立像で、その外側左右の像は力士像であったと考えられる。次に石笋山においては、中尊頭上に如来像を表す点は共通するものの、第三・八号龕ともに如来像は天蓋の上ではなく、千手観音が頭上へ掲げる二手から生じた光の渦の上に表されていた。その上には一体の如来坐像を中心とし、その左右に菩薩坐像各一体と合掌する長袂衣の立像五体、力士立像一体、如来坐像五体、計二十五体の像を乗せていた。うち、長袂衣の立像五体は如来坐像や菩薩坐像とは異なり光背を表さず、格下の存在であると考えられる。また、その外側の如来像五体は、四川の大悲変相図においては通常中尊左右の群像とともに表されるものであり、中尊頭上の如来像とは別グループに属するものである。となれば、石笋山第三号龕中尊頭上の如来群像は、基本的に劉嘴山の三龕と同じ構成を取ると言える。劉嘴山の三例と石笋山の二例は、尊格の図像構成においては一致するが、如来群像を方や天蓋上に表し、方や渦巻く光明上に表す違いは一見して大きい。しかし、仏教美術における天蓋はそもそも聖なる存在の放つ光明が化成したものであり、その認識
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