― 469 ―が唐代にあって一般的であったことは、経典・美術作例の両方から裏付けることができる(注11)。このことに鑑みれば、劉嘴山の第五二号龕において、千手観音像が上方に伸べる二手が天蓋の左右端に接していることは興味深い。つまり、この造形もまた石笋山の場合と同様に光が千手観音の手先から放たれて天蓋状を成す表現である可能性があり、劉嘴山と石笋山の作例における千手観音頭上の造形が本質的には同じ内容―千手観音の放つ光明中に居る如来群像―を表すことが窺われるからである。最後に花置寺第一二号龕の場合は、中央に如来坐像、その左右に光背を負った坐像各一体を表す点はこれまで確認してきた五龕と一致する。しかし、その他の表現においては大きな違いが見られる。最も目立つのはやはり、天井に沿って平行の区画二段を作り、その内側に複数の建築物を浅浮彫する表現であろう。この平行線は大悲変相龕においては他に類を見ない図像である。しかし、実の所唐代仏教美術においては仏国土の定型表現として、敦煌莫高窟などで頻繁に用いられる表現であることが、大悲変相図以外の作例を扱う先行研究で指摘されている(注12)。一例を挙げれば、敦煌莫高窟第四四五号窟北壁の盛唐の弥勒浄土変相図では、画面の中央に須弥山が描かれ、東西に渡る平行線によってその上方に兜率天が表されている〔図9〕。又、この他に蔵経洞から発掘された所謂敦煌画の引路菩薩像(五代十国時代)においても、画面上方に引かれた何本かの平行線とその内側に描かれた複数の単層建築物によって、西方浄土が表されている(注13)。第一二号龕の上方に表された平行線が仏国土を表現するものである以上、その中央に表される如来像はその主と考えるのが自然ではないだろうか。それでは、劉嘴山、石笋山、花置寺の大悲変相龕に見られる如来群像は一体何を表すものだろうか。ここで先に挙げた『千手経』の内容に立ち返りたい。『千手経』は、千手観音の陀羅尼である「大悲心陀羅尼」を唱えることで得られる功徳を列挙するが、中でも主要な功徳として挙げられるのが、「西方浄土往生」、そして「いかなる浄土への往生をも叶える」という功徳である。また、「研究の前提」で上述したように同経では観音が前世に「大悲心陀羅尼」を会得した際、そして補陀落迦山道場において観音が陀羅尼を唱える直前に光明が放たれたという場面が描かれる。千手観音を取り囲む光明は、大悲心陀羅尼の誦持とは直接に関係する奇跡なのである。以上を踏まえれば、劉嘴山、石笋山と花置寺において中尊千手観音像の頭上に表された如来群像は、陀羅尼の誦持によって叶えられる浄土往生の功徳を象徴的に表すものとは考えられないだろうか。先述のように、大悲変相図中には千手観音が補陀落迦山道場にて陀羅尼の功徳を説
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