鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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注⑴松本榮一『燉煌画の研究』(同朋社出版、1985年)650〜2頁。⑵『大正新脩大蔵経』巻二〇、83頁b〜90頁a。⑶『大正新脩大蔵経』巻二〇、101頁b。⑷拙稿「山中禅定像をともなった千手観音龕について―四川省邛■石笋山摩崖の作例を中心に― 470 ―く際に参じた会衆の諸尊と、千手観音が陀羅尼誦持者のもとへ派遣する諸尊が混在して表される。また、千手千眼という観音の姿がそれ自体、観音が大悲心陀羅尼の功徳により衆生を救う力を持つことの証明として与えられたことも考慮に値しよう。この上に、陀羅尼誦持によって叶えられるという浄土往生の功徳が千手観音頭上の如来群像によって象徴的に表されるのであれば、「大悲変相図」は大悲心陀羅尼の誦持によって得られる様々な時空における奇跡を一挙に切り取って見せたものとは考えられないだろうか。千手観音の関連経典を注意深く読むと、それらが皆大悲心陀羅尼の誦持法と功徳を説くことに終始することに気付かされる。つまり、千手観音の威力とは即ち大悲心陀羅尼の威力なのである。「大悲変相図」とはその複雑な図像全体をフルに用いて、千手観音と大悲心陀羅尼の威力を表現したものと解釈できるのではないだろうか(注14)。以上、貴財団の助成を得て実現に至った調査の結果を踏まえ、若干の私見を述べた。但し、本研究においては、千手観音頭上に表された如来がどの如来を表すものか同定するには至らなかった。中国における浄土往生信仰は各時代・地域によって異なる流行を見せる。大悲変相図中に表される如来像の同定が叶えば、中国の浄土往生信仰を考える上でも興味深い材料が得られるのではないだろうか。今後は、詳細な考察を加えながら、引き続き大悲変相図の場面同定に関して研究を進めるとともに、様々な如来の図像表現と各作例が成立した時代・地域毎の事情を踏まえながら千手観音頭上に表される如来像の同定についても考えていきたい。―」(『美術史研究』第46冊、2008年)。⑸王煕祥「丹棱鄭山―劉嘴大石包造像」(『四川文物』第3期、1987年)。胡文和『四川道教、仏教石窟芸術』(四川人民出版社、1994年)等。⑹以下法量に関しては前掲注⑸胡氏著書に依拠する。⑺『平成十三―十六年度科学研究費補助金「基盤研究■⑵」研究成果報告書 中国四川省石窟摩崖造像群に関する記録手法の研究及びデジタルアーカイヴ構築』(研究代表者 肥田路美、2005年10月)。⑻前掲注⑺報告書。⑼以下、石笋山第三・八号龕並びに花置寺第一二号龕の法量については前掲注⑺報告書に依拠する。

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