鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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― 474 ―㊸ 円覚寺所蔵五百羅漢図に関する研究―画中に描かれた人物像を中心に―研 究 者:神奈川県立歴史博物館 学芸員  梅 沢   恵はじめに羅漢に対する信仰は中国で成立し、その思想と造形は奈良時代には日本にももたらされたという。羅漢図も平安時代には数多く舶載され、日本における羅漢図制作の規範となったと考えられる。鎌倉・円覚寺に所蔵される五百羅漢図(重要文化財)は中国・元時代の制作とされる。本図は大徳寺伝来本(旧蔵分を含む)の南宋時代の制作である五百羅漢図と多くの図像が共通しているが、大徳寺本が一幅に五尊ずつ羅漢を描く百幅で構成されるのに対し、円覚寺本は一幅に羅漢を十尊を描く五十幅からなる。これまで、両作品の図像の関連についてはしばしば指摘されつつも、詳細な図像の比較は行われてこなかった。これには両者がいずれも大部の作品であり、全幅のカラー図版が入手し難いという困難があったと思う。しかし、近年の展覧会において多くの幅が展示され、図録に全幅のカラー写真が掲載されたことにより、五百羅漢図研究の基礎的な画像資料が提供されたといえよう。報告者は「宋元仏画」展(神奈川県立歴史博物館、2007)を企画担当した際に円覚寺本の全幅について調査する機会を得た。その調査の過程で、円覚寺本の画中に羅漢像に紛れて実在する人物像が多数描かれていることに注目し、一部の人物像についてはすでに論じたことがある(注1)。本研究ではあらためて大徳寺本、円覚寺本の全幅について図様の比較を行い、人物像の挿入が認められる箇所を特定する作業を行った。本稿では、その成果の一部を報告するとともに、羅漢図に描き込まれた人物像のもつ意味についてもあわせて考察したい。五百羅漢図の諸本最も流布した羅漢図は釈■の入滅後その正法を護持してこの世にとどまったとされる十六尊の羅漢を描く十六羅漢図であるが、これに慶友尊者と賓頭廬尊者を加えた十八羅漢図のほか、本稿で取り上げる五百羅漢図が知られている。中国・寧波から内陸にはいった場所に位置する天台山の石橋、方広寺周辺には生身の羅漢が示現するといわれる。その信仰は日本にももたらされており、平安時代以降には重源、成尋など、入宋した日本僧達はみな天台山を訪れ、石橋の生身羅漢を供養している(注2)。五百羅漢図はこの生身羅漢を描いたもので、龍を降ろして雨を降

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