鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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― 478 ―い。円覚寺本No.8は大徳寺伝来本No. 29とNo. 30の図様を巧妙に組み合わせて構成されている。他に、円覚寺本No. 15〔図3〕はNo. 51とNo. 52の二幅分を組み合わせているが、いずれも「獅子」、「食事」という共通した主題を描く二幅同士が組み合わされている。この大徳寺伝来本二幅分を組み合わせて一幅を構成する手法は伝張思恭筆の一群では比較的少ないが、単純に羅漢の数を二倍に増やすよりもより高度な構成力を要するとみられる。五十幅本と百幅本の各系統のうち、いずれにその初発性が認められるかについては、難しいところであるが、手がかりとなる幅が円覚寺本No. 20幅〔図4〕である。対応するのは大徳寺本No.8である。大徳寺本では両手で長い眉毛をつまみ上げる倚子に座った羅漢に対し、拱手して礼拝する胡人と胡僧を描いている。倚子に座る羅漢の背後に他の四尊の羅漢が描かれている。一方、円覚寺本では倚子に座る羅漢以外に羅漢は八尊しか描かれていない。なぜなら絵の主題である「胡人・胡僧の礼拝」のうち向かって左下の胡僧が円覚寺本では十尊の羅漢の一人になってしまったからである。大徳寺本ではこの胡人と胡僧は羅漢よりも一まわり小さく描かれているが、円覚寺本ではほぼ同じ大きさに描かれている。つまり、円覚寺本が先行する作例、あるいは粉本から制作するにあたって、本来の図像の意味が正しく理解されなかったのではないかと推測されるのである。〔表〕には円覚寺本の各幅に挿入された羅漢以外の人物像を併せて掲出した。しかし、そのほとんどが僧侶像〔図5・6〕である。伝張思恭本については今のところ、像主を特定するに至らない。室町時代の補作にも実在する人物とおぼしき肖像画〔図7〕が多数描かれている。そのうち、宝誌和尚が十一面観音に姿を変える場面を描いた幅(図版47)には、宝誌和尚(十一面観音)の脇に牀座に半跏して坐す僧〔図8・9〕が描かれる。顔貌の表現は、画中の羅漢の描き方とは異なっており、特定の人物像とみられる。下がった眉、骨格、見えるように描かれる丸い鼻孔は大和文華館本や酬恩庵本などの一連の一休宗純像と顔貌の特徴を共有しているようにみえる。また一休像に半跏像が多いことも指摘しておきたい(注9)。円覚寺本が室町時代にはすでにその多くが失われており、欠幅を補うために他本の五百羅漢図を参照したとみられる。その際に、大徳寺伝来本がイメージソースとなった可能性も充分に考えられるであろう。円覚寺本の制作背景、制作年代を解明する手がかりとしても、画中の人物像は大いに注目されるのである。

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