鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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― 483 ―㊹ 西園寺大仏師性慶の研究研 究 者:実践女子大学 非常勤講師  小 倉 絵里子はじめに南北朝時代の仏教彫刻は、彫刻史の中でも衰退期に入ったものとして評価されるのが一般的で、前代までの盛んな研究に比べると長らく発展途上にあったといってよい。しかし現存作例は多く、近年では実証的研究や各地の悉皆調査の成果により、新たな作品や史料が多数紹介され当代の彫刻史研究は大きく進展しつつある。本研究で取り上げる西園寺大仏師性慶の仏師系譜が見直されたのもその成果の一つである。鎌倉末期から南北朝時代に活動した性慶は、在銘作品が四件知られ、活動前半期には時の権力者西園寺家と結びつき西園寺大仏師を称するなど、十四世紀前半の代表的仏師に挙げられる。黒川春村『歴代大仏師譜』附録の「仏師伝」に湛慶の子孫又弟子の一員として記載されていることから七条仏師として紹介されたこともあったが(注1)、正和四年(1315)の日吉山王七社御輿造替に三条仏師朝円とともに勤仕していることや、作風が三条仏師堯円に近似することが指摘されたことで近年まで三条仏所系の仏師と考えられてきた。しかし、正中三年(1326)に東寺大仏師職補任を求めて自らを運慶長子湛慶に連なる系譜に位置づけ、その職を康誉や院亮と争っていたことが根立研介氏の詳細な研究によって明らかにされたことから、性慶の系譜は再び見直しを迫られることになった(注2)。性慶に限らず当代の仏師たちは自らの権益を確保し、さらに拡大していこうと幅広い活動を見せるが、その詳細は不明な点が多い。また同一流派の仏師間でさえ、作風の多様性が認められるなど、各仏師をとりまく様相は複雑を呈している。性慶は未だ仏師系譜が定まらず多くの問題が未消化であるうえに、作品については詳しい紹介がほとんどない。小稿では実査に基づき作品概要を一括にまとめることで、性慶研究の基礎資料としたい。西園寺大仏師としての活動性慶は現存作例以外に史料上三件の事績が知られている。いずれも現存作例より■るもので、まずはそれらを確認しておく。最初の事績は、後伏見院に入内した広義門院の御産についての記録『公衡公記』の別記『広義門院御産愚記』延慶四年(1311)正月二十七日条に記され〔史料1〕、女院の安産祈願のための七仏薬師法本尊を西園寺五大堂から産所へ移すのに性慶が付き添ったとある。ここに「当堂仏師章慶」と記されることから、西園寺家側からも性慶

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