⑹田邉三郎助「東福寺の鎌倉彫刻」(『MUSEUM』296)1975年11月。⑺その他の法量(cm)。髻頂―顎18.3 面長8.0 面幅9.0 耳張8.5 面奥9.5胸奥(右)12.1 腹奥13.0 肘張17.1 膝張30.0 膝奥23.0 座奥27.0膝高(左)6.1(右)6.2⑻『近江栗太郡志』(1926年刊)に右肘以下を欠失した図版が掲載。滋賀県指定文化財となった昭和四十一年(1966)には既に現在の状態で、修理の時期やその詳細については資料は残っておらず、不明である。⑼小倉絵里子「長野県伊那市薬師堂の性慶作薬師如来坐像」(『実践女子大学文学部紀要』50)⑽その他の法量(cm)頂―顎25.7 面長14.6 面幅15.0 耳張18.4 面奥21.6 胸奥(左)21.5腹奥23.8 肘張48.2 膝張60.8 膝奥49.0 膝高(左)12.3(右)11.8⑾その他の法量(cm)。髻頂―顎17.6 面長7.7 面幅7.5 耳張9.2 面奥9.7 肘張23.2 胸奥11.2腹奥13.2 膝張28.1 膝奥23.5 膝高(左)5.5⑿猪川和子「南北朝時代在銘像の数例について」(『美術研究』280)1972年3月(『日本古彫刻史論』所収)講談社、1975年11月。なお、広島県竹原市西方寺十一面観音菩■立像も作風から性慶の作品である可能性が高いことを奥健夫氏から御教示頂いた。拝観時に銘のある足■を確認したところ、現状下部が切断されており、「法印性」という墨書のみ判読できた。⒀その他の法量(cm)。髻頂―顎25.2 面長9.8 面幅9.1 耳張11.5 面奥11.7胸奥13.7 腹奥16.0 脚部最大張36.4⒁薬師堂像、願成寺像、実相寺像は切金文様や盛り上げ彩色がよく似ており、同一の彩色絵師によるものとみられる。⒂田邉三郎助「大仏師康俊・康成について」(『田邉三郎助彫刻史論集』所収)中央公論美術出版、2001年5月。田辺氏は康誉作遍照寺大日如来像の表面仕上げが立体造形の粗豪さとはやや趣を異にし繊細な切金や盛り上げ彩色を施していることについて、康俊はもちろんのこと性慶作品に通ずるものがあるとも述べている。⒃根立研介「湛慶と鎌倉彫刻様式の完成」(『日本の国宝』69)1998年7月。⒄根立氏前掲論文・前掲書注⑵。⒅近年の調査により延慶三年(1310)の湛康作と判明した大分・金剛宝戒寺清涼寺式釈■如来立像の像内銘には康誉と読めそうな墨書もあるという。特別展『運慶流』山口県立美術館・佐賀県立美術館、2008〜2009年。⒆根立氏前掲書注⒆。松岡久美子「湛慶世代の作風展開について―京都正法寺(八角堂)阿弥陀如来坐像、京都西園寺阿弥陀如来坐像を中心に―」(京都大学文学部美学美術史学研究室『研究紀要』22)2001年。― 490 ―2007年3月。
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