鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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― 504 ―㊻ 《大洪水の情景》を中心とするジロデの「歴史画」作例の再検討研 究 者:兵庫県立美術館 学芸員  小 林   公本研究は、フランスの画家アンヌ=ルイ・ジロデ・ド・ルーシー=トリオゾン(Anne-Louis Girodet de Roussy-Trioson 1767−1824)の「歴史画」作例について、特に1806年のサロン展に出品された《大洪水の情景》〔図1〕を中心に論じるものである。ジロデは新古典主義の画家の中でもロマン主義的な気風を色濃く持った異色の存在として、特にこの20年ほどの間に多くの研究者の関心を集めてきた。2005年9月から2007年1月にかけて、フランス(ルーヴル美術館)、アメリカ(メトロポリタン美術館、シカゴ・アート・インスティテュート)、カナダ(モントリオール美術館)で開催された国際巡回展は近年の研究の成果を示した画期的なもので、展覧会にあわせて刊行されたカタログは今後のジロデ研究の基礎をなすものである(注1)。ジロデが当時の画家の登竜門であるローマ賞を獲得したのは1789年、フランス革命の年である。このことに象徴されるように、彼が活躍したのは革命と政変の相次ぐ激動の時代であった。画家自身の政治的信条には、青年期においては反権威主義的、共和主義的な態度を隠さなかったのに対し、ナポレオン政権下においては王党派人脈との深いつながりを持つなど振幅が見られる。それでも、画家としての活動においては生涯にわたって伝統的な画題のヒエラルキーの最上位に位置する歴史画家であることを任じ、その自負を失うことはなかった。こうした画家の自覚とは別に、18世紀後半には歴史画というジャンルの基盤が揺らいでいたことは多くの研究者の指摘するところである。国際巡回展を監修したシルヴァン・ベランジェも、ジロデの生きた時代が歴史画家にとっては困難に満ちたものであったという前提に立つ。その上で、ジロデが留学先のイタリアから帰国してしばらくの間、公的な作品制作の機会に恵まれなかった理由の一つとして、ジロデ作品の複雑さと制作に擁する時間の長さとを挙げている(注2)。さらに、作品だけではなく作者自身の性格の■渋さも公的な作品委嘱から画家を一層遠ざけることとなった。ジロデが自主独立を好んで、アカデミーに代表されるような権威に反感を抱いていたこと、ローマ留学中から師であるダヴィッドの様式とは異なる独自の様式を模索したことは多くの研究者の指摘するところであるが、その一方で世俗的な栄達にも無関心ではなかった(注3)。時代の困難は画家の同時代人にもはっきりと認識されていた。マルク・フュマロリはジロデが残した長編詩『詩人』を詳細に分析した論文を国際巡回展のカタログに寄

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