注⑴Sylvain Bellenger; essais de Marc Fumaroli et al. Girodet 1767−1824 / biochronologie sur CD-Rom parBurno Chenique, Paris: Gallimard; Musée du Louvre, 2005. 仏語版と同時に英語版のカタログもガリマール出版社より刊行されている。パリではルーヴル美術館の展覧会会期にあわせ、複数の美術館でジロデを取り上げた展覧会が開催された。次の拙稿を参照。「ジロデの季節」『アートランブル』第10号,兵庫県立美術館 2006,p.8.⑵Sylvain Bellenger “«Trop savant pour nous»: le destin d’un peintre poète” Bellenger op. cit., pp. 15−51,― 509 ―(Antoine-Claude Pannetier 1772−1859)に手紙を送っている。その中の「この作品[《大洪水の情景》]は、公衆と呼ばれる人々よりも芸術家たちの間で成功したように思われます。公衆というのは少しばかり解剖学的な人体よりも黒いビロードの衣装にたやすく夢中になるのです」([ ]内は引用者による注)という言葉には、公衆の審美眼はあてにならないという侮蔑的なニュアンスがかすかににじむ(注21)。ジロデが匿名で刊行した風刺的批評詩『1806年の諸批評に対する批評』においては、公衆は不誠実で見る目のない批評家の言いなりになる愚か者として、次のように語られる。「真の公衆とはかくの如し。―その人物像を言い表すのに私には二言で十分だ!/公衆を組織するために、何人の愚か者が必要なのか?」(注22)。この文章は公に出版されたものであり、そのことまで含め公衆に対して極めて挑戦的な振舞いと言えるだろう。その風刺のきつさゆえかクーパンはわざわざ読者に断った上で、遺稿集へのこの冊子からの引用を最少限にとどめている(注23)。公衆にたいするジロデのこうした態度は先にみたダヴィッドのそれと極めて対照的である。ダヴィッドが「公衆」に作品の肯定的評価の形成に積極的な関与を求めたのに対し、ジロデは「公衆」の評価をそもそも期待しない。少なくともそのような態度を表明する。稿者は《大洪水の情景》は画家自身の美学的表明であるというカトルメールの認識に賛同するが、そのような純粋な画家自身の美学の表明が可能であったのは、歴史画が社会的要請から切り離され、宙吊りとなったからである、という言い方も成り立つ。そして宙吊りとなった作品の社会的評価を定めるにあたっては、実体のない「公衆」と呼ばれる仮想的な存在が大きな役割を果たすことになる。純粋に美学的な主張を作品に盛り込んだジロデは、作品の評価をそのような画家の関心とは無縁の「愚かな」公衆にゆだねなければならなかったのである。しかし、ジロデの高踏的な振る舞いが彼に不利に働くとばかりも言えない。なぜなら公衆との交わりを拒絶する孤高の芸術家という役を、公衆が好まないとは限らないからである。
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