4.救世主像と豊臣秀吉以上見てきたように、神戸市博本の救世主像がキリシタン教図像に依拠していることはほぼ疑う余地がないものだと言える。一方、この像がヴェールのようなケープをかぶっている点は奇妙である(注25)。これをどのように理解すればよいだろうか。ヴェールをかぶるマリア像と混同したとも、あるいは、初期洋風画にいくつか作例のある達磨像との類似を示唆しているとも考えられる(注26)。これらの可能性を全面的に肯定・否定することはできないが、ここではこれまで指摘されてこなかった点に注目したい。― 521 ―る形で描かれている。つまり神戸市博本は、救世主像の礼拝像としての機能を図示しつつ、同時に、礼拝像そのものとしてもこれを描いている。これは、画中画の新しい扱い方だといえよう。内膳は、豊国祭礼図の観覧席に多くの屏風絵を描いており、ここに長谷川派との交流が見て取れることがすでに指摘されている(注24)。同様に、キリスト教世界において画像のもつ象徴的な力や、こうした画像による教化の威力を理解していたからこそ、これを画中画として描いたのではないだろうか。実は、この救世主像のケープのような衣は、空想的な伽藍の軒先に子供とたたずむ老人の衣装と似通っている〔図12〕。老人は襟にフリルをつけ、前立てのない長衣をまとい、さらに陰影の施された水色のケープを重ねている。左右隻に南蛮人商人や宣教師は多く描かれるが、彼らの衣服とこの老人のそれは著しく異なり、区別されていることが分かる。前述のようにこの老人には秀吉の姿が仮託されているが、同時に、同じ画面内に6度繰り返される救世主像とも重ね合わされているのではないだろうか。そう考えるならば、当の救世主像がヴェールをかぶるのは、この一際印象深く描かれる老人像との類縁性を強調しつつも差別化を図るためかもしれない。同時に、この老人の姿は、現世の存在ではないように描かれていることにも気づく。空想的な異国風の伽藍は奇妙な雲竜紋で彩られているが、その頂には聖体を掲げるモンストランスが安置される。これは聖体をかざすモンストランスであるとも、聖遺物顕示台ともつかない。いずれにせよ、日本の図像の感覚からは、位牌のようにも見えよう。これらの小道具を考慮するならば、左隻の奇妙な伽藍は、この老人、すなわち秀吉に捧げられた霊廟とみなすことができるのではないだろうか。おわりに 歴史画としての南蛮屏風もしこれを霊■と見なすことができるのであれば、同じ狩野内膳が描いた豊国祭礼
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