① レオン・フレデリック作《万有は死に帰す、されど神の愛は万有をして蘇らしめん》2.2003年度助成1.はじめにレオン・フレデリック(1856−1940)は、アンソールやクノップフと同世代のベルギー人画家である。ブリュッセルの王立美術学校に学び、1880年には同校の学生とOBで構成される団体「レソール(飛躍)」(1876−1891)のメンバーとなり、解散までここを拠点に活動。その後は、ベルギーの官営のサロン(注1)やパリの国民美術協会のサロンを主な発表の場とした。1883年に結成され、ベルギーにおける前衛の代名詞となる「レ・ヴァン(20人会)」(1883−1893)には、招待作家として一度出品しているだけで、会員にはなっていない(注2)。代表作《チョーク売り》《小川》(ベルギー王立美術館、ブリュッセル)や《労働者の一生》(オルセー美術館)に見られるように、その作品は、ハイパー・リアリズムとも呼び得るような緻密な写実描写によって、社会的なテーマや宗教的・寓意的主題を、大画面に、それもしばしばポリプティクとして描いた点を特徴とする。様式的な影響源としては、初期フランドル絵画、ボッティチェッリ、ラファエル前派、バスティアン=ルパージュなどが指摘されており、美術史的には、自然主義と象徴主義の境界上に位置づけられている。― 539 ―(大原美術館所蔵)について研 究 者:長崎県文化振興課 係長・学芸員 福 満 葉 子国内外の数々の展覧会で受賞し、1904年にはベルギー学士院会員となり、1929年には男爵位を授爵するなど、公的な栄誉に彩られた後半生を送ったフレデリックだが、歿後は忘れ去られるのも早かった。1970年代以降、欧米で象徴主義復権の機運が本格化する中で彼も見直されるのだが、例えば1975−76年の「ヨーロッパの象徴主義」展(注3)には取り上げられていないことが示すように、彼を再評価する動きは、 同世代のベルギー人芸術家達と比べて比較的鈍かったと言える。本格的な再評価は1980年前後からで、ベルギー近代美術や、西洋近代美術における社会的テーマの再検証の文脈においてのことだ(注4)。しかしそれも散発的なものであり、現在に至るまで包括的なモノグラフは刊行されていない。1973年にブリュッセルの小美術館で回顧展が開かれたのを最後に、本格的な個展も開催されていないのである(注5)。こうしたことはおそらく、彼がレ・ヴァンのメンバーではなかったことと無関係ではない。ベルギー近代美術の再検証は、この前衛グループを軸に行われてきた側面が強いからで
元のページ ../index.html#549