2.作品の概要この作品は、二組のトリプティクで1枚のパネルを挟む構成になっており、向かって左のトリプティクが「神の怒りによる人類の滅亡」を、中央パネルが「死者達の目覚め」を、右のトリプティクが「死者達の復活」を表している(以下、本稿ではこれらを便宜上「死」「目覚め」「復活」と呼ぶ)。「死」の中央パネルには、手前に向かって押し寄せてくるような累々たる死体が描かれている〔図2〕。老若男女入り交じる死者達は全て裸身だ。天上には顔を覆う神の姿が見え、その周りでは天使達が地上に岩を投下している。左右のパネルにはそれぞれ前景に着衣の女性の骸が横たわり、背景は炎に包まれている。左パネルの人物は、司教の大外衣を纏い、右手に十字架を握り締め、その右方には香炉が落ちていることからみて「信仰」の擬人像である。画面左下隅には、火の消えた蠟燭を載せた燭台が転がっている(蠟燭もまた「信仰」の持物である)。右パネルの人物は、黒い法衣を纏い、右手に剣を、左腕には「LEX(法)」と記された律法の石板を持ち、傍らには― 540 ―ある。大原美術館が所蔵する《万有は死に帰す、されど神の愛は万有をして蘇らしめん》(1893−1918)は、フレデリックの特徴を良く示す作品だ〔図1〕。7枚のパネルで構成されるこのポリプティクは、縦161cm、横1100cmの大作で、現在、同館本館2階展示室の入り口上部壁面に掛けられている。この作品は、巨大なサイズに加え、全体の半分近くを死体の描写が占めるという内容の特異さによって、来館者に強い印象を与えている。その大きさが同館の建築計画に影響を与えたという「伝説」もあり、それは大原コレクションの基礎を作った画家の児島虎次郎がこの作品を入手した経緯と共に良く知られている(注6)。このように独特の存在感を示しながら、この作品はこれまで独立した研究の対象とされることが殆どなかった。ベルギーの評者の多くが、主に画家の生前に書かれた文章でこの作品について触れているものの、十分に考察しているとは言い難く、国内においても2006年の寺門臨太郎による論考を除き、大原美術館のコレクションに関する記述の中で触れられるに留まっているのである(注7)。本稿では、このいわば「知られざる大作」を、1894年(パリ)と1895年(ブリュッセル)、1920年(アントウェルペン)に展示された際の展覧会評やその他の同時代資料を手がかりとして検証すると共に、本作品がトリプティクからポリプティクに発展してゆく際の状況についても考察する(注8)。
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