― 47 ―⑤横山大観筆《無我》と課題制作に関する研究―背景としての宋代・■宗画院―「一、国家施設展覧会研究者:東京国立博物館 任期付研究員 植 田 彩芳子はじめに横山大観は、昭和16年(1941)1月1日に発表した「日本美術新体制の提案」(注1)の中で、次のように現状の改革案として課題制作を提示する。新体制下の国家施設の展覧会は有らゆる諸団体に超越し、国家が強大なる指導精神を以て放慢乱雑なる傾向を規制し、之を一元化し、以て健全なる日本美術発達の推進力たらしめざるべからず。この理想を実現せんが為には課題の選定を以て唯一最善の方策なりと信ずるものなり。…(中略)…画題を下して士を取るの事は先例已に宋宣和画院にあり」この課題制作は必ずしも実現はしなかったが、大観が課題制作をいかに重視していたか、さらに、大観はそうした課題制作の淵源として、宋代の宣和画院があることを理解していたことを、この改革案は伝えている。大観が課題制作の念頭においていたのは、もちろん自身の絵画修業として課されてきた岡倉天心による課題制作である。この課題制作を重要と考えてきたからこそ、大観はこの美術改革で課題制作を提案したほか、大正末・昭和初期の再興院展でも課題制作を行っている。このように、課題制作は大観の画業形成において、重要な意味を持っている。明治期の課題制作に関する先行研究は、必ずしも多いとは言えない。遂初会の掲げた「理想」をめぐる問題については、塩谷純氏が当時の理想画流行と関連づけながら考察を行っている(注2)。また、佐藤道信氏の論考「朦朧体論」(『國華』1234号、平成10年)では、日本美術院の課題制作を「主題と表現の創案に関して注目されるもの」とし、この課題制作を行った日本美術院内の研究会や互評会での「課題呈示と授賞という価値判定が、美術院のめざす絵画イメージや表現のあり方を、具体的に示す指標として機能した」可能性を指摘する。そして、課題制作において重視されたことは「イメージや理念の表出と、表現の暗示性という問題」だったことを指摘している。とはいえ、この天心の課題制作について、宋代・宣和画院との関係から考察した研究はない。
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