鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
571/597

― 560 ―2009年10月24日㈯ 13:00〜14:30記念講演会「アンリ・リヴィエールとブルターニュ」フィリップ・ル・ステュム(県立ブルターニュ博物館 館長)れなかったリヴィエールの木版画は一部の階級のものでありましたが、リトグラフへ移行することによって大量に摺られるようになり、民主化、大衆化したことが明らかにされました。以下は、記念講演会とシンポジウムの抜粋です。アンリ・リヴィエールがブルターニュに初めて訪れたのは、1885年の夏の終わり頃だと思われます。その時リヴィエールは21歳で、画家としてデビューしたばかりでした。1930年代以来、ブルターニュは画家たちには有名でした。一つには、切り込みの激しい海岸や野生的な風景、もう一つには画趣に富む民族衣装とその人たちが理由でした。ブルターニュの最も西側の地方では、芸術家のコロニーが事実出来上がっていて、ヨーロッパ全土や米国から画家が集まって来ていました。ここで、特に注意すべきリヴィエールの作品の特徴があります。リヴィエールのブルターニュを見る視点では、他の画家と異なり、人目をひく衣装の性格を強調せず、その反対に、人物のみを描いて、その衣装は非常にシンプルで、ほとんどいつも作業着であって、強い地方色も見せてはいないのです。リヴィエールはその後ブルターニュを頻繁に訪れますが、画家がよく訪れる場所にはいつも長居をせず、避けています。あまり人目に触れない場所を好み、孤独の中で、クロッキー帳と水彩絵の具を手にして、探索していたのです。この最初の旅行の衝撃は若き芸術家の創作活動にとって、直接的であり、かつ決定的で、それは生涯、全作品を通じてのものでした。1885年以降、リヴィエールはブルターニュに毎年、5月から10月にかけて連れ合いのウジェーヌ・レイとともに訪れるようになります。まず何よりもブルターニュの北の海岸にリヴィエールは惹かれました。ロギヴィーの小さい港は特別リヴィエールを魅了しました。そこで小さな漁師の家を借りた後、1895年には自分の家、「ランディリス」を建てました。「ランディリス」は、ブルターニュ語で「ランド・オ・ズィリス」、アヤメの土地、という意味です。こうした夏の滞在地から、リヴィエールはその地域全体に遠出することができました。疑いようなく、全作品の中で、リヴィエールが最も優れて数も最も多い作品を献

元のページ  ../index.html#571

このブックを見る