鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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― 564 ―いますが、いかがですか。(ル・ステュム)ブルターニュはいろいろな画家によって訪問された場所でしたが、リヴィエールの大きな違いは、日本人と同じような感じ方をしていて、自然と人との融合性を捉えた画家のひとりだということです。(藤村)確かにリヴィエールの作品と浮世絵はかなり似ています。リヴィエールの初期の作品に「海、波の研究」があるように、彼は自然を観察し、時間や季節によって自然の様相が変化するのを敏感に捉えて描いています。虹、雨、雪、雲を描き分けたのは、江戸時代の浮世絵師が得意としたところです。浮世絵と比較して、構図が似ているだけでなく、自然を観察する心や人間に対するまなざしが近いのです。リヴィエールの作品に描かれているのは、自然の中で暮らしている人々の何気ない日常風景で、これが浮世絵師の視点、テーマと一致しています。 リヴィエールは木版画からリトグラフへ移行したことで、制作枚数は20枚から1000枚へと変わりました。多くの人に安く提供したいというモチベーションがあったのでしょうか。(ル・ステュム)19世紀末までは、木版画は印刷物として油絵の複製品や雑誌とか絵本、新聞の挿絵として使用されており、大衆的なものであり、芸術ではないと見られていました。リヴィエールは1890年代の初めから木版画を制作しましたが、少ない枚数で、エリート的な芸術版画として制作しました。最初のリヴィエールの成功によって他の画家たちも木版画を作っていきました。そして、絵画を大衆化させるという目的もあって、木版画からリトグラフへ移行していきました。フランスで民主主義が台頭してきた時代で、美術教育のために小学校に大きな絵を置いたり、社会福祉が整備され始めた時代背景があります。(飯山)エリート主義について言いますと、浮世絵は日本の江戸時代の支配階級が認めた公的なものではなく、また、現代的な意味での芸術ではありませんでした。日本では匠の技、工芸が非常に盛んですが、フランスでは手を使う仕事は低く見られます。アートは頭で考え、そのコンセプトをいかに発表するかということが重要なのです。リヴィエールは頭で考えた精神と、自分で彫って自分で作るという、手の仕事が重要であるという日本的な考えをよく理解していました。他の西洋近代のヨーロッパ、アメリカの作家とは大きく違っています。(ル・ステュム)リヴィエールは技術に関しての関心が強く、実験を何度も試みて木版画にたどり着きました。1890年代、ロートレックのポスターがパリ中に張られていましたが、多彩な色を使用するリトグラフは当時、新しいものでしたのでこれもリヴ

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