鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
578/597

6月27日 午前は、他の日本からの参加者とともにモスクワのクレムリンを見学。土曜日とあってクレムリンは観光客の長蛇の列。またロシアとしては異常な暑さで日蔭が恋しくなる日和であった。― 567 ―しそこは、典型的なロシア式のやりかたで、前日になって、突然エクスカージョンがあるという。ロシアでの国内旅行は、未だにいろいろ困難がつきまとうので、この際機会を逸してはならないと、参加することとした。行き先その他については、海外からの参加者にはほとんど予告なく、早朝、雨天の中出発し、モスクワから二時間以上北東に走り、初めに見学したのは、ペレシュチェイェヴェ湖畔の12〜17世紀にかけての小会堂群であった。中でも救世主変容会堂は小規模のものであったが、11世紀後半の創建ともいわれ、ロシアにおける初期会堂の様式をとどめた、興味深い建築であった。そののち正午過ぎに空も晴れ上がり、ようやくネロ湖畔のロストフ・ヴェリーキーのクレムリン(ロシア固有の要塞化された都市中心部)に到着した(注1)。主催者がロシアの史的風景のうちでも最も美しいところだと自慢していたように、旧市街を取り巻く湖畔の景色は美しく、何よりも堅固な城壁に囲まれた大聖堂を擁するクレムリンは、まさに主催者の主張する「聖なる場 hierotopia」の名にふさわしい、宗教的雰囲気に満たされた独特の空間であった。ちょうどその地の出身の考古学者が同行しており、非常に詳しい説明が数時間にわたり続き、夕刻に及んだ。ここでも残念ながら腰痛のため、高所の階上での見学には参加できず、その間中庭で、この史跡が一種のテーマパークとして様々な形で市民に利用され、楽しまれている様子をつぶさに見ることができた。説明の中では、祭祀的空間としてのクレムリンについても興味深い事実が多く紹介され、これまでの会議主催者の学的関心の根源がどこにあるかを如実に体験することができたのは、非常に重要な収穫であった。午後からは同行者と別れ、まだ訪れたことのない新プーシュキン美術館にロシアの現代美術の展示を見に行く。すでに前々日、旧プーシュキン美術館を訪れた際、美術におけるロシアの近代化を明治期における日本のそれと比較し、当然と言えば、それまでであるが、(西欧的な視点からするなら)日本とは比較にならぬその先進性に驚いた。この日また新プーシュキン美術館を訪ね、社会主義時代には絶対に公開されることのなかったスターリン以前の、いわゆるRussian Avant-gardeのこれまで目にすることのなかった数々の作品を見、20世紀の冒頭においてロシアがいかに多数の、しかも優れた現代美術を国内において生産していたかということにただただ驚くばかりで

元のページ  ../index.html#578

このブックを見る