鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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6月28日−7月1日 フランクフルト経由で成田に帰着。総括:先述のように、主催者A. リドフ氏は、これまでのイコン研究が、一個の作品としてのイコン内部の研究に限定されてきたことを批判し、イコンの崇敬から発する様々な祭祀的な行為、またその行為の場の形成へと、さらに視野を広げることを提案し、今日のビザンティンおよびロシアの美術研究に新たな局面を開いた。その点でリドフ氏の功績は大きく、またそのような方向でこれから果たさねばならない多くの研究課題が待っている。― 568 ―あった。これまで報告者は、20世紀初頭のロシア美術については、主としてカンディンスキー、ロドシェンコ、マレーヴィッチ等、ヨーロッパ諸国で活躍した作家、あるいは高く評価された作品に主に接してきた。また近年日本でも僅かではあるが、Russian Avant-gardeを中心とした展覧会が開かれている。また新プーシュキンでも例えばタトリン、マレーヴィッチ等の作品はこれまでも写真などで接してきたが、これまで全く報告者の一般常識に入ってこなかった。しかも様々な作風の現代作家が、ロシア国内で瞠目すべき活動をしていたことを知り、あらためてロシア人の芸術的資質の高さを痛感した。他方、今回の国際会議では、リドフ氏がその研究対象を様々な方向に拡大するにつれて、以下のような新たな問題が起こることが予測された。1 )今日の美術史学では、イコン自体、板絵としてのこれまでの定義が拡大解釈され、小はいわゆるprivate devotionのニーズに対応する小工芸品的なものから、大は会堂壁面を装飾する大壁画に至るまで、すべて「イコン」という概念で一括して議論される傾向が強まっている。今回の発表ではとくに「場」の問題が前面に押し出されているだけに、伝統的な定義によるイコンを問題とした発表は非常に少なく、反面建築空間そのものの聖化に関連した発表の多かったことが印象的であった。  このような今回の会議の方向からは、当然、建築群を含めたより広範な(例えば聖地全体を問題とするような)topographicalな対象が議論されて然るべきであったし、本発表者自身はそのことを強く意識していた。とはいえ、多少なりともその方向を意識した発表は、本発表者の聴講した限りでは、先述のヴォルフ氏、バッチ氏の報告を除いては意外に少なかった。但し、我が国では、すでに福岡大学の太記氏がde administrandoなどの文献を丁寧に分析し、皇帝による祭祀的行為とそれによる首都の聖化を正しく論じている。今後はこの方向での研究が続くであろう。本発表

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