注⑴City, Yaroslavl oblast(region), northwestern Russia. It lies along Lake Nero and the Moscow-Yaroslavlrailway. First mentioned in the chronicles in 862, Rostov was an outstanding centre of early medievalRussia. In 1207 Rostov became the capital of a princedom, which remained under Tatar rule in the 14th and 15th centuries. In 1474 it came into the possession of Moscow under Dmitry Donskoy. At the end ofthe 16th century, Rostov grew in importance as a trade centre on the route between Moscow and the White― 569 ―者はこれまでnarrative landscapeの作品群を中心にこの問題に携わってきたが、今後、発表の機会をこれまでより増やす必要を感じている。2 )さらに今回の会議では、祭祀的「行為」を重視したことから、キリスト教以外のさまざまな宗教における祭祀的行為が話題とされ、その結果、議論が美術史というよりはむしろ人類学的方向にと発展する傾向が認められた。このような研究の方向は、リドフ氏の発想の源となったH. ベルティンクの1980年代からのイメージ論の蓄積であり、ベルティンク自身は、2001年に出版されたBild-Anthropologieにおいて、古代から現代に至る美術に対する人類学的アプローチを総合的に論じている(注2)。しかしここで注意しなければならないのは、現段階においてベルティンクの研究対象がすでにイコンとそれに関わる祭祀(=キリスト教の典礼)を離れ、イメージ一般にと移行している点である。もちろんこの書の中で扱われている対象の多くは美術作品であり、その点で美術の論となっているのは事実であるが、他方このような一般的視点から出発する今後の美術史研究が、美術の域を離れ、イメージ一般の学へと拡散してゆく可能性は非常に高い。注意したいのは、このような状況自体、1970年代に本来美術史の学として出発したイコノロジーが、急速に文化記号論に、さらにはWord/Image論にと解体していった経緯に、奇妙に符節を一致させていることである。とはいえ、このような方向に立ち向かう批判的な動きが、第一線の研究者によってすでに始められている。先に触れたB. ペンチェヴァの2006年の論文がイコン崇拝をめぐる様々なパフォーマンスを論じながら、別して五官に備わった(客観化しにくい)感覚的要素を重視しているのはひとつの新しい傾向である(注3)。さらに、これまでのイコノクラスム研究がともすれば神学的、教義史的議論に終わりがちであることを批判し、聖像論争の当事者たちにとって「作品articraftとしてのイコン」がいかなる意味や機能を有していたのかを改めて検証しようというCh. バーバーの近著などは(注4)美術作品を新たなコンテクストの中に埋没させまいとする新たな努力の一端であろう(注5)。
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