鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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たことにある。戦争史観では見えない歴史の発掘を行ったアナル派の仕事を参考にして、特に15−18世紀にかけて意味を持った「文芸共和国」を論じた。ヨーロッパとは、ローマのローマ教皇庁のもとに成立したラテンキリスト教文化であり、霊的な統一を持ったものであり、キリスト教共和国Respublica Christianaが存在していた。一方で、教会の大分裂の後には、コンスタンツ公会議(1417年)を経て、そのキリスト教共和国に、新たな血流を入れた、文芸共和国Respublica litterarumが作られ、後に重要な意味を持った。これが、後の平和を求める国際会議の予兆となったと、氏は考えている。西洋古典語の教養に裏付けられた広く深い見識が滲み出す、見事な講演であった。フランスの、あるいは、西欧の「知」の代表といったオーラを感じさせるものであった。本講演は、日仏美術学会会長の高階秀爾氏が司会進行を行った。会場には、フランス文学を専門とする塩川徹也氏(東京大学名誉教授)と日仏会館の理事である三浦信孝(中央大学教授)が出席され、質疑に参加された。ホールには、フランス大使館関係者も含む、数十名を超える聴衆が参加した。講演内容が、上記のとおりに、宗教史、文学史、そして政治史を中心とした内容であり、多彩な視点からの質疑応答がなされた。一方で、講演後に行われた、日仏会館ロビーにおける立食の懇親の席では、日仏美術学会の大野芳材氏(青山学院女子短期大学教授)と望月典子氏(慶應義塾大学文学部講師)をはじめとした専門家を含む関係者が参加した。学術セミナー「Litterature, art et monarchie moderne sous le règne de Louis XIV主要テーマはフランスのアカデミーについての制度論であった。フランスにおけるアカデミーは、16世紀に、フィレンツェに設置されたアカデミア・デル・ディセーニョ、ローマにおけるアカデミア・ディ・サン・ルカなどが参考にされていた。リシュリューが創設したアカデミー・フランセーズ(1637年)、マザランによる王立絵画彫刻アカデミー(1648年)、そしてコルベールによる碑文・文芸アカデミー(1663年)、王立建築アカミデー(1671年)が続く。絶対王政の基盤強化から、国家が直接アカデミーを組織するという新しい体制を取ったからである。これらは、モンテグロン(1875−92)、ペヴスナー(1940)等による先行研究を踏まえ、一方で、最新の研究動向を視野に入れた、専門性の高い内容であった。(ルイ14世治下の文学、美術、そして近代の君主制)」― 574 ―

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