鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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― 578 ―践経験をもつユネスコの専門家である。同氏は、かつて住民の一斉退去という希有な措置が取られたことで有名な世界遺産マテーラの石窟住居保存の問題をとりあげ、自らの居住経験に基づきつつ、伝統的な都市の構造特性や建造技術を尊重・活用することがいかに合理的であるかを強調した。午前中の最後の発表者であるコンティ氏は、チェゼーナ市長の立場で10年間にわたり地域再生事業に取り組んだ経験を報告し、近代的な経済発展の論理と、コミュニティの社会的・心理的諸価値の源泉である都市のすがたの保存の両立という、困難な問題の諸側面について論じた。このように1日目の午前が都市計画事業の実践的経験をもつ専門家たちによる発表であったのに対し、午後は、都市をめぐる美学的議論を中心とする発表となった。音楽史家・音楽理論家であるグアンティ氏は、音楽理論と建築設計との密接なアナロジーの関係について論じた。続くミラーニ氏は、古代から近代に至る歴史的都市の問題を景観の審美的価値の観点から論じ、近代の生産性重視による景観の荒廃を脱して、都市の美という人間的・社会的価値への回帰を主張した。日本の都市の問題を扱う2日目は、まず光井氏によって、日本の歴史的都市の基本的な類型と、今日の保存状況について的確に整理して紹介する発表から開始された。続いて上野氏は、行政的立場からの調査活動をふまえて、伝統的建造物群保存地区制度を中心とした日本の歴史的都市保存の状況に関する報告を行なった。単独の建造物の保存ではなく、地区全体を保存する試みに関する上野氏の発表に関連して、続く石井氏からは、実際の事例報告として、奈良井・平沢という小規模な歴史的都市の保存活動の紹介と問題提起が行なわれた。こうして2日目午前は、行政的視点から建造物・町並み保存の実践にかかわった経験をもつ3氏によって、日本における伝統的景観の保存の現状に関する的確な紹介がなされたといえる。同日の午後は、まず陣内氏の東京における歴史的都市構造の発見と活用に関する発表で幕を開けた。陣内氏の報告は、イタリアで学んだ都市再生の理論をベースに、日野市等で同氏が実践として関わっている地域再生の調査・事業を報告するもので、過去の歴史と現在の空間デザインを結びつけようとする内容であった。続いて、中川氏による近代京都における歴史の再構築に関する発表があった。「内なる歴史」と「外からの歴史」というキーワードを通じて、強力な近代化のプロセスにおいて京都が経験した深い葛藤を例証する内容である。最後に、木下氏の発表は、戦後の広島・横須賀・鎌倉などで、戦争や軍事と結びつきの深いこれらの都市の記憶が、いかに復元され、創作あるいは隠蔽されたのかを論じるものだった。それは、本シンポジウムの表題にある「歴史的都市」というタームそれ自体をある意味で問題化する内容であり、

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