鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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― 49 ―「会場に入り来れば先づ新画に接す。新画は総て智、博恵、水石契久の三題に基きて作りたる者にして、其成績頗る妙ならず。蓋し題に由て画を作らしむるは古来其例ありて、郭熙の言にも「作画先命題為上品。胸次寛濶自然合古人意趣。無題便不成画」抔と云へり。蓋し画の主意を定め、意匠を試験し妙想を凝結するの補助として画題を設くるは多少の利益あるべしと雖ども、画題の適否を問はざれば却て病を生ずるの種子とならん。詩題は必ずしも歌題に適せず、楽曲の題は必ずしも絵画に用ゆべからず。同じく是れ宣和画院の命題にして有名なる事蹟なれども、古渡無人舟自横の句は画に入るべし。踏花帰去馬蹄香の題にて蝴蝶が馬尾を逐ひ来る画案の如きは、大に画の真味に遠き趣向なるべし。故に題を命ずるときは画趣に入るべきものを■ばざる可らず」(注6)「自第二人以下、多繋空舟岸側、或拳鷺於舷間、或棲鴉於篷背、独魁則不然、画一舟人於舟尾、横一孤笛、其意以為非無舟人、止無行人耳、且以見舟子之甚間也」ここで岡倉は宮中御歌会御題をそのまま画題に設定する日本美術協会のやり方に違和感を持ちつつも、「意匠を試験し妙想を凝結するの補助」として課題制作を行うことの意義は認めている。ただし、設定する画題には適否があると述べている。後に日本美術院で音曲画題などを設定する岡倉であったが、このときは楽曲の題は絵画には向かない、という考えを持っていた。岡倉は課題設定の例として、中国・宋代の宣和画院の課題制作を挙げている。課題制作といえば、宋代画院の課題制作が想起されたのである。そこで、次節では宣和画院の課題制作について、確認しておきたい。二、宣和画院の課題制作宋代・■宗の画院での課題制作については、鈴木敬氏の論考「画学を中心とした■宗画院の改革と院体山水画様式の成立」(『東京大学東洋文化研究所紀要』38号、昭和40年)が詳しく、以下参考にする。■宗時代の画学の入試では科挙試験の方法をとり、画題を提示して描かせ、採否を決めたことは、さまざまな書物に記載されていることによってほぼ明らかになっている。鄧椿の『画継』(巻一、聖藝、■宗皇帝の項)(注7)には、画題として「野水無人渡、孤舟尽日横」や「乱山蔵古寺」という詩の一二節があげられている。「野水無人渡、孤舟尽日横」の画題の試験で首席となったものについては

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