― 583 ―がある。東アジアの伝統では、山は単に見られるものではなく、登られるものであった。近代的な登山と異なり、山に遊びつつ、山気との同化が目指される。嶺南大学の閔周植教授は中国に発し韓国に伝わり、更に遅れて日本に伝わった文人登山の問題を取り上げた。教授によると、尹南漢の『雜著記說類記事索引』によれば、「遊○○山記」あるいは「遊○○録」というタイトルを冠した李氏朝鮮時代の作品がおおよそ560編ある。その中で17世紀前半までのものが約60編、それ以後のものが約500編である。文人でもある遊山録の作家たちは、山に登る動機と過程、山の位置及び山勢、山に残る歴史的な文化遺産、登山や帰途の際に感じた楽しみなどを文章に表現している。遊山録での山水は現実の生から暫らく離れ心身ともに病むことなく安らかに休ませる空間であり、また我々の生を顧みその真なる意味を反芻する空間である。ここに遊山録が指向する遊びの楽しみがある。それは外に向かって広く開けられた空間の中で成し遂げられる、心と身の浄化に因る内面の楽しみである。従って、世間での矛盾と疎外の現象が益々深刻になっている現在の社会において、遊山録の作家たちが山水に遊び歩きながら自分たちの生を真実にかつ素直に語りながら示してくれる自然を眺める態度を、我々が改めて探ることは意義深いことである、と閔教授は述べる。我々の文脈では、ここには、山岳景観の享受とは異なり、体験型の山岳美学がある。これは、臥遊的な東アジアの山水的登山観の展開ないし遊山美学を明瞭に示している。景観体験に関する非−視覚的な契機をも尊重する美的経験の見地では、他にも東京大学の安西信一氏の「庭園論」等、触れるべき重要な研究発表もあったが、割愛する。以上、2010年4月3日、広島大学学士会館で開催した「国際美術シンポジウム」について報告いたしました。出席者は、日本・中国・韓国の60名余の研究者を中心に、大学院生や一般市民の方を加え、百名を優に超えました。末尾ながら、このシンポジウムの開催にあたり、ご支援、ご協力賜った関連各位に心よりの謝意を表明いたします。
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