鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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― 52 ―「ポケットマネーを出して景品を買つて、生徒に題を出すんです。その題が、たとえば「明月」という題でも、月を描いてはいけないわけです。そこにあるものを、感じを出さないといかん。そういうような式の会でした。「笛声」という題を出して、ある若い公家さんが広い野原で笛を吹いていたんじやいけないんです。そんなものをやらんで、笛を吹いていないで笛の感じを出せ……」(注14)三、意匠研究会(遂初会)と日本美術院の課題制作岡倉が明治28年(1895)、東京美術学校内に意匠研究会を開いたことは、すでによく知られている。その会は毎月一つの画題を設け、「意匠ノ意味深長品位高尚ナルモノ」(注12)に岡倉がポケットマネーで賞品を与えたものであった。第一回の画題は「入相の鐘声」、ただし鐘の形を描いてはいけないというものである(注13)。入相の鐘声とは、日暮れ時の鐘の音であり、目に見えるものではない。その音のイメージを暗示的に表現することに画題設定の意図があったと考えられる。このことについて、板谷波山は後年、次のように回想している。ここでの課題制作の意図は、着想の広がりにあったと考えられる。「笛声」という画題に対して、イメージを広げて制作し、その着想のうまさを競うというものであった。こうした暗示的表現には、先述した宋代・宣和画院の課題制作との親近性を見て取ることができる。明治29年3月、この「意匠研究会」は「遂初会」とその名を変える。「遂初会主意」(『錦■雑綴』7巻、明治29年3月)によると、この会の主意は、「落想の初一念を作品の上に飛動せしむこと」=着想にあるのであり、「意匠の研究を以て、本義の目的とする時は、往々彼の踏花馬蹄香の如き、標識謎語に近きものに陥り易き弊ある」という。意匠研究会の課題制作において、「踏花馬蹄香の如き、標識謎語に近き」作品が増えたというのである。ここでも、宋代・宣和画院の「踏花馬蹄香」の課題は、批判的に捉えられているが、宋代画院の課題制作に親近性を抱いていることがわかる。日本美術院では、さらに明治32年10月より日本美術院の正員・副員及び日本美術協会会員等の有志により課題制作の研究会・絵画研究会が毎月開催された(注15)。これは、翌年11月に、日本美術院正員による絵画互評会と改められ、さらに、別に絵画研究会を設け、課題制作が行われた(注16)。ここで設定された課題は、季節に合わせた事物の性質・状態・心情等を表す形容詞

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