1.はじめに―本研究のねらい2007年度、筆者は勤務先である静岡県立美術館において「ボックスアート―プラモデルパッケージ原画と戦後の日本文化」という展覧会(以下「ボックスアート展」と略称)を企画運営した。「ボックスアート」とは「プラモデルの箱に印刷されたイラストレーション」を指す言葉である。2.先行研究の現況ボックスアートは様式においてもモチーフにおいても戦中の大衆視覚メディアの状況を色濃く引きずっている。戦時の視覚文化状況を浮かび上がらせるためには、たんに美術の問題として戦争画を取り上げるだけではなく、大衆視覚メディアのイメージと戦争画とを包括的に扱う視点が求められる。ボックスアートは先に述べた性格上、その可能性を秘めたメディアであるが、管見の限りいまだこのような視点での先行研究というようなものは出ていない。1.画家の責任論争の時代。終戦直後、戦争画家の道義的責任を問う声が画家の宮田重雄や内田巌らから挙がり、それに対する藤田嗣治や鶴田吾朗による反論や藤田の離日などのリアクションもおこる。2.1970年、東京国立近代美術館に戦争記録画153点が無期限貸与される。菊畑茂久― 59 ―⑥近代日本における戦争の表象の研究―大衆視覚文化研究序説―研 究 者:静岡県立美術館 上席学芸員 村 上 敬筆者はボックスアート展を通じて「大衆視覚メディアと戦争画との関係」という問題意識を得た。今回の助成研究においては、そのいわば「続編」として、展覧会業務の煩忙のなかで十分に考察することのできなかった出品資料を改めて見直す作業をおこなった。これらを材料にして視覚文化史における「戦時」イメージについて考えていきたい。では、戦争画研究はどうだろうか。長嶋圭哉は「『戦争美術』研究小史」(注1)においてこの分野の研究史を整理している。これを参考に戦争画の受け取られ方の変遷をみると、おおむねつぎのようになる(以下の分類は長嶋の論を参照しつつ筆者の責任でまとめた)。
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