3.メディア史的事件として「戦時」イメージを扱うことさて、戦前戦中の視覚メディアを席巻したのは何といっても「戦時」のイメージであった。とりわけ1931年9月の満洲事変以降その傾向は顕著になる。このことは、ひとまず、社会的ヒーローの変遷に伴う現象として捉えることができる。騎馬武者や野球少年、帆船の代わりに将軍や少年飛行兵、軍用機が少年雑誌の表紙に描かれるようになる。描かれているのは「我らがヒーロー」としての軍人たちであり、プロパガンダというにはあまりに素朴である。国民が彼らに向けた視線は、例えば現代において― 60 ―馬により、これらを絵画としてあらためて美術史上に位置づけようという動きが示される。戦争画を歴史的には「明治以来の国家の美術としての日本美術のあり方の総決算」、絵画史的には「日本における公的性格を持つ大画面の写実的絵画」と位置づけようというアイディアが美術評論家等の間に生まれる。3.1989年、昭和天皇崩御と冷戦の崩壊後に起こってきた、戦争を含めた昭和史を見直そうという動き。具体的には、一般向けの日本美術概説書にも戦争画についての記述が見られるようになったことや、東京国立近代美術館へ無期限貸与された戦争記録画の目録が刊行されたこと(1992年)、美術史学会において戦争画をテーマとするシンポジウムが開催されたこと(1994年)などが挙げられる。さらに2007年には、蘆溝橋事件からポツダム宣言受諾にいたる時代の戦争美術を扱った『戦争と美術 1937−1945』(注2)という大著が発行された。これは251点におよぶ作品図版や当時の座談会記事の再録なども含むもので、議論のたたき台となる資料を網羅した重要な出版物である。このように戦争画をめぐる議論は20世紀末ころから活性化し、いよいよ共通の土台が生まれつつあるのだが、その一方で、「芸術の問題」としての枠組みを脱しきれないが故の消化不良感も未だ残されている。紙幅の都合で具体的に挙げることはさけるが、かつて多く見られたように、画家の個人史の問題として戦争画を論じてしまうと、「戦争画を描いたことが画家の本意だったのか否か」「描かれた作品が絵画として優れていたのかどうか」という話題に矮小化されてしまうことが否めない。実のところ戦争画は、印刷流通物のいわば「原画」としての側面を持っている。「芸術家の営為としての絵画があって、それが複製されて流通する」ということと事実関係においてはほとんど変わらないが、これを「複製されて流通するイメージがあって、その原画として絵画がある」、と読み替えることができるのではないだろうか。
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