4−2.機械への偏愛「絵空事」性につづく第二の特徴として、「機械への偏愛」を挙げよう。この時代の資料を調査すると、ブロマイドのような軍艦写真の絵葉書や戦車の活躍を描いたポスターなど、最新兵器を描いたイメージに嫌というほど触れることになる。これは20世紀初頭から国際的な思潮としてあった「科学を信奉するメンタリティ」を反映している。戦中の日本には過剰な精神主義しか存在しなかったという認識はひろく共有されているように思われるが、十五年戦争初期の段階ではそれは必ずしも当たっていない。雑誌等のメディアも来るべき戦争において科学技術がいかに重要であるかを繰り返し強調していた。5.戦争画の「変貌」しかしながら、昭和初期について述べてきたような「戦時」イメージは十五年戦争の戦局の転換とともに大きくその性格を変えていった。ここに興味深い指摘があるので引用する。「1942年6月のミッドウェー海戦での大敗が一般に伏せられたのは、それが致命的な損害であると同時に、おそらくは、物語として生身の人間には登場する余地のとぼしい機械力の敗北だったためでもある。一方、ガダルカナル島(1942年8月米軍上陸、1943年2月日本軍撤退、戦死・餓死者約25,000人)の悲惨な戦況にせよアッツ島守備隊の壊滅(1943年5月)にせよ、悲劇が擬人化できる、すなわち個々人の演じる美談にまとめられるかぎりにおいて、軍部は血なまぐさい負け戦をむしろ大々的にはやし立てて■むことがなかった。」(注3)― 62 ―えの無邪気で快活な雰囲気さえ漂わせていたのである。あらためて主張すれば、いま見てきたように、戦争画は画壇の問題というよりも、洋画家、日本画家、挿絵画家、デザイナー、写真家などあらゆる視覚メディア関係者を巻き込んだひとつの国民文化運動のようなものであったのではないだろうか。そこで問題になるのは、当該作家の免責のためにタブロー一点一点の芸術的価値をうんぬんするのではなく、どのようなシステムによって「戦時」イメージがつくられ流通していったのかを跡づけることのように思われる。戦局の悪化とともに「戦時」イメージは「殉国」イメージの色彩を濃くしていく。
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