1.十五年戦争初期の段階の戦争画というものはけっして特殊なものではなく、同時代にも戦後にもそのイメージの特性を分有する存在があること。必然的にこれらについてはわれわれ自身の生み出した視覚として考察していく義務がある。2.その一方で十五年戦争末期の戦争画にはきわめて特異な芸術的達成があり、凡庸な様式論で処理したり倫理的に断罪したりすることよりも、政治史と視覚芸術史の交点を示す一事例として注意深く考察するべきものであること。― 64 ―ラモデルのボックスアートだとしても全く違和感のないほどに様式的特徴を同じくしている。筆者が本稿第5節で触れた「変貌」の前の戦争画は、戦後のボックスアートや戦記物挿絵にほとんどそのまま受け継がれている。これは戦争画というものがもっぱら軍部の統制的施策としてではなく、一般の市民が希求するイメージとして生まれたものであったことを物語っている。言い換えれば、社会が持っていた潜在的な欲求がエモーショナルな表現として実体化したのがこの時代の視覚イメージだったのである。もしこの時期の戦争画について画家の道義的責任を問うのであれば、われわれ一般国民もその共犯であることに目をつぶることは許されない。一方、先に述べたように「変貌」後の戦争画は異様な緊迫感に満ちており、危うい魅力に満ちた作品も少なくない。十五年戦争期の洋画家はわれわれの想像を絶する難しい状況に立たされたことと思われるが、そんな画家たちを免責するために「彼らは仕方なく描いた」とすることよりも、彼らがそれぞれの状況のなかで生み出したイメージのありようについて誠実に問うていくことが視覚文化研究においては求められるように思われる。会田誠は「戦争画リターンズ」のシリーズにおいて、「変貌」後の戦争画に強くインスパイアされた作品を描いている。例えばニューヨークを空爆するという《紐育空爆之図(戦争画RETURNS)》はまさに同モチーフの古城江観《紐育制圧の図》を思わせるし、アニメーション作品「機動戦士ガンダム」に登場するロボット兵器をモチーフにした《ザク(戦争画RETURNS番外編)》は、明らかに藤田嗣治の十五年戦争末期の戦争画を換骨奪胎したものである。われわれは戦争画と会田誠を並べて観ることで、画家がどれほどのイメージを生み出しうるのかをまざまざと見せつけられる。本稿ではボックスアートと戦争画をモチーフに十五年戦争期の「戦時」イメージについて考えてみた。次の2点を本稿の結論として確認したい。今回の助成研究によって、冒頭に述べたように、展覧会資料の追加調査を行うこと
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