鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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2 「坑夫像」建立活動2−1 北海道北海道では、夕張市・■別市・空知郡上砂川に、計3点の坑夫像が建立された。このうち夕張の作品は、最初に制作された坑夫像であり、上砂川の坑夫像は、おそらく最後の作品だと考えられる。― 68 ―に相談し、古賀忠雄を通じて、賛同した若手の彫刻家たちが集められた(注5)。設立時のメンバーは、以下の14名である(名前、生没年、所属していた団体の順)。中野四郎(1901−1968、九元社)、古賀忠雄(1903−1979、東邦彫塑院)、中川為延(1904−1967、文展第三部作家協会)、中村直人(1905−1981、日本美術院彫刻部)、円鍔勝二(1905−2003、正統木彫家協会)、菅沼五郎(1905−1999、日本彫刻家協会)、大須賀力(1906− 、直土会、沈爾留、日本彫刻家協会)、野々村一男(1906−2008、日本彫刻家協会)、林是(1906−1974、日本美術院彫刻部、沈爾留、日本彫刻家協会)、長沼孝三(1908−1993、九元社)、木下繁(1908−1988、直土会)、柳原義達(1910−2004、新制作派協会)、水船六州(1912−1980、文展第三部作家協会)、峯孝(1913−2003、直土会)。今回の調査で、坑夫像は北海道、福岡県、福島県、新潟県の各炭鉱地に、現存しないものも含め、11点の存在を確認できた。以下、各地域ごとに調査結果をまとめていく。特に注記しない限り、坑夫像はすべてセメント製である。本来であれば、各炭鉱の歴史にも触れたうえで、作品を紹介していくべきだが、紙幅の都合もあるので、今回は、作品図版と資料を提示するにとどめ、諸氏の御教示を待つことにしたい。夕張の坑夫像〔図1〕は、北炭夕張鉱業所に建立後、新二鉱操込所前に移設、昭和60年(1985)12月に、石炭の歴史村内に移設され現在に至っている(昭和62年、夕張市指定文化財)。台座の正面銘板に「採炭救国」、裏面銘板に、「製作者 軍需生産美術推進隊彫塑班/中村直人 古賀忠雄 円鍔勝二 木下繁/昭和十九年六月二十五日 夕張鉱業所」とある(注6)。この作品については、円鍔勝三(当時は勝二)が詳しい回想を残している(注7)。これによって、軍需生産美術推進隊が四十七士になぞらえて47人で編成されたこと(注8)。軍需省から指定されたのは、北海道から九州にかけて11カ所の優良工場だったこと。夕張での制作に約一カ月かかり、《進発》というタイトルであったこと(注9)。共同制作では各自の個性が出てしまい、また、セメントという不慣れな材料を用いていることもあり、全体として整えるのに苦労したことなどが語られている。

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