鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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2−3 福島県いわき市に、2点の坑夫像が建立され、共に現存している。また、炭鉱史の研究が盛んな地であるため、これらの坑夫像についても、すでに基礎的な調査がなされている。いわき市立美術館で平成16年に開催された展覧会、『炭鉱(ヤマ)へのまなざし―常磐炭田と美術』の図録はその代表的なものであり、本稿でも負うところは大きい。1点は現在、湯本駅にほど近い、いわき市石炭・化石館前に設置されている〔図9〕。元々、湯本自治会館前に建立されていたもので、現在の台座正面には、常磐興産社長鈴木正夫の書による「坑夫の像」と刻まれた銘板が付けられているが、元のタイトルは《総蕨起(そうけっき)》であり、元湯本砿六坑採炭坑夫の菅野藤七という人物がモデルをつとめたことがわかっている(注13)。― 70 ―建つ《躍進》という坑夫像がそれである〔図6〕。建立年月は不明だが(台座背面に、「昭和十五年之建」と刻まれた石板が付いているが、明らかに後年のものであり、軍需生産美術推進隊結成前であることから、慎重な判断を要する)、台座正面に付けられた、水巻町教育委員会によるパネルには、大略次のように記されている。元々、日本炭礦高松礦の第一礦、第二礦坑口付近に1点ずつ坑夫像が建立されていた。第一礦の坑夫像はタイトル・建立年月等不明で、昭和41年(1966)閉山直後に解体された〔図7〕。《躍進》は、第二礦坑口付近に建てられた作品で、閉山後、旧日本炭礦事務所の敷地内に移設されたのち、平成16年(2004)8月に水巻町へ寄贈された。町には、この像の原形と思われる石膏小品が残されており、それには円鍔のサインが刻まれているという(注12)。《躍進》は現在、かつての第二礦を眺望できる小高い丘の上、水巻町図書館の側に移設されている。平成17年(2005)7月には町の文化財に指定されるなど、現存する坑夫像のなかでは、最も優遇されている作品だといえるだろう。対比的なのが、福岡県大牟田市延命公園に残る坑夫像である〔図8〕。制作者・建立年月を示す資料は確認できていないが、他の坑夫像と作風を比較してみるかぎり、軍需生産美術推進隊の制作である可能性は非常に高い作品だと考える。少なくとも、三池炭鉱を記念する作品であることは間違いないが、近くの歴史資料館に尋ねてみても、「何もわからない」とのことであった。台座背面の銘板には、「彫像寄贈製作者/軍需生産美術推進隊/中川為延 林是 野々村一男 中野四郎 清水多嘉示 古賀忠雄/昭和十九年十月十八日」と刻まれて

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