鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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1.バッティステッロの《洗礼者聖ヨハネ》における棒状の杖出発点は、「洗礼者聖ヨハネ」を主題とするバッティステッロの絵に認められる、― 78 ―⑧カラヴァッジョと17世紀前半のナポリの画家たち研 究 者:立命館大学 非常勤講師  木 村 太 郎はじめにイタリア、バロック期の画家ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571〜1610年)は、生涯に少なくとも2度ナポリに滞在した。1度目は1606年9月頃から1607年6月頃にかけて、2度目は1609年10月頃から1610年7月頃にかけてである。この2つの滞在中にカラヴァッジョが制作した作品群は、当時まだ後期マニエリスムの絵画伝統に属していたナポリの画家たちに強い影響を及ぼした。彼らの多くは、カラヴァッジョの絵の劇的な明暗法や写実的な表現等をすばやく吸収し、17世紀後半から19世紀まで続くナポリ美術黄金期の礎を築くことになる。カラヴァッジョと17世紀前半のナポリの画家たちとの接触が持つこうした美術史上の重要性は、これまで様々な研究者によって繰り返し強調されてきた(注1)。本稿もまた、その研究上の流れに沿うものであるが、ここでは特に、当時のナポリを代表する画家ジョヴァンニ・バッティスタ・カラッチョーロ、通称バッティステッロ(1578〜1635年)とカラヴァッジョの図像上の関連に焦点をあてたい(注2)。今まで指摘されたことのない1モチーフの形状の変化である。新約聖書の「ヨハネ福音書」(1章6〜34節)等に記されているように、洗礼者聖ヨハネとは、キリストに先んじて登場する苦行者で、新約聖書の諸聖人の筆頭に立つ人物である。若くして荒野に出、禁欲的な生活を送った彼は、罪を悔い改めたいと願う人々に洗礼を施し、救世主キリストの到来を予告した。そして、このことに由来し、ルネサンス以降のイタリアでは、荒野に独居する彼の姿を表した美術作品が数多く制作されるようになった(注3)。バッティステッロの絵もこの伝統に連なる。バッティステッロがはじめて洗礼者聖ヨハネを描写したと考えられるのは、ナポリのフィランジェーリ美術館に収蔵される1607年頃の作品(以下、フィランジェーリ作品と略)〔図1〕においてである(注4)。画面を見ると、聖人が、自らの正体を示すアトリビュートとしてアシの杖を手にしていること、そしてその杖が、縦木と横木を組み合わせた十字架の形をしていることが確認できる。ところが、その次にバッティ

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