鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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2.杖の由来ここで注目したいのは、今日ローマのボルゲーゼ美術館に展示されるカラヴァッジョの《洗礼者聖ヨハネ》〔図5〕にも、紛れもなく棒状のアシの杖が描き込まれているという事実である(注8)。スコルツィアータ作品の杖は、この絵から引き出されたのではあるまいか。― 79 ―ステッロが同じ聖人を取り上げたとされる作品、すなわち、かつてナポリのサンタ・マリア・デッラ・スコルツィアータ聖堂を飾っていたが、現在は行方のわからない1610年代前半の作品(以下、スコルツィアータ作品と略)〔図2〕では、横木が消え去り、杖の形が十字架状から単なる棒状になる。そして、現存作品から判断する限り、この棒状の杖はその後、バッティステッロの《洗礼者聖ヨハネ》に杖が描き込まれる場合には、1度の例外もなく採用され続けることになる。具体的にいうと、カリフォルニア大学付属美術館の作品、ヴェルサイユ宮殿美術館の作品、ロンドンの個人コレクションの作品、サン・マルティーノ国立美術館の作品、エミリオ・グレコ・コレクションの作品、デ・ヴィート・コレクションの作品である(注5)。このように、バッティステッロの《洗礼者聖ヨハネ》には、フィランジェーリ作品とスコルツィアータ作品の間を境として、アシの杖の形が十字架状から棒状に変わるという現象を指摘することができる(注6)。そして、この現象は、実は極めて特異なものといわなければならない。なぜなら、美術作品において洗礼者聖ヨハネの携帯する杖は、伝統的に十字架の形状を取るものだったからである(注7)。そのことは、例えばジュゼッペ・チェーザリ、通称カヴァリエール・ダルピーノやマッシモ・スタンツィオーネといった同時代の画家たちの作例〔図3、4〕に目を向けてみれば、容易に理解できるだろう。ならば、スコルツィアータ作品に認められる、かくも特殊な棒状の杖は一体どこから引き出されたものなのか。上述のとおり、スコルツィアータ作品が制作されたのは1610年代前半のことである。では、それ以前にバッティステッロがカラヴァッジョの《洗礼者聖ヨハネ》を実見することは果たして可能だったのだろうか。しかも、スコルツィアータ作品以降、バッティステッロの《洗礼者聖ヨハネ》で絶えず棒状の杖が利用され続けていることから推して、バッティステッロがカラヴァッジョの絵を見たとすれば、それは、フィランジェーリ作品が制作された1607年頃よりも後のことであったにちがいない。この点を確認するために、まずはカラヴァッジョの絵の来歴をたどってみよう。この絵の注文に関する契約書は発見されていない。しかし、17世紀の伝記や絵に関

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