鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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― 81 ―ていた1610年12月10日頃から1611年8月のはじめ頃の間に求められる。このとき、絵は、副王の住まいであるナポリ王宮の内部に置かれていたと推測されるが、実はこの時期の王宮で、バッティステッロは副王の依頼に基づき、「ゴンサロ・デ・コルドバの偉業」を主題とするフレスコ画の制作に従事していた(注21)。カラヴァッジョの作品群に並々ならぬ関心を寄せ、副王とも面識があったにちがいないバッティステッロが、この宮殿の中にあったくだんの絵を見なかったとは考えにくい。そして、第三の機会は、絵がボルゲーゼ枢機卿に届けられた直後の1612年初頭に見出される。この頃、バッティステッロは一時的にナポリを離れてローマに滞在し、そこで《ゴリアテの首を持つダヴィデ》を制作しているが、この作品の注文主はボルゲーゼ枢機卿その人であった(注22)。バッティステッロがこの折に枢機卿の美術コレクションを鑑賞した可能性は高い。そして、その中には当然、カラヴァッジョの《洗礼者聖ヨハネ》も含まれていたはずである。このように、スコルツィアータ作品が描かれた1610年代前半以前に、バッティステッロがカラヴァッジョの絵を見ることは十分に可能であり、しかもその時期は、フィランジェーリ作品が手がけられた1607年頃よりも後のことに他ならなかった。そして、スコルツィアータ作品の棒状の杖がカラヴァッジョの絵から借用されたものなのではないか、という見方を支持するものは、これ以外にも存在する。スコルツィアータ作品に描かれた、もう1つのモチーフがそれである。画面を見てみよう〔図2〕。聖人の足もとに、角を生やした1匹の羊が座っている。羊は洗礼者聖ヨハネのアトリビュートの1つとされる動物で、この聖人を取り扱った美術作品にとって珍しいものでは決してない。しかしながら、スコルツィアータ作品の羊は疑いなく特異性を孕んでいる。というのも、洗礼者聖ヨハネの作品に表される羊は、この聖人がキリストのことを「神の子羊」と呼んだという「ヨハネ福音書」(1章29節)等の記述に因んで、ほぼ絶対的に、角のない子羊だからである(注23)。そのことは、先に挙げたダルピーノらの作例〔図3、4〕に今一度目を向けてみれば、即座に理解できるだろう。では、なぜスコルツィアータ作品には角の生えた羊が姿を現すのか。ここで、この作品を制作するにあたってバッティステッロがカラヴァッジョの《洗礼者聖ヨハネ》を視覚的な典拠として用いたと考えれば、この疑問にはたいへん合理的な説明が与えられる。なぜなら、このカラヴァッジョの絵にも、紛れもなく角を生やした羊が描かれているからである〔図5〕。ちなみに、美術の歴史において、角の生えた羊が棒状のアシの杖とともに表現されている洗礼者聖ヨハネの作品は、管見の限り、スコルツィアータ作品とカラヴァッジョの絵以外には存在しない

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