鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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1.はじめに従来のアンコール王朝研究では、バイヨン期(12世紀後半〜13世紀初頭)以降は衰退期とされ、その後に続くポスト・バイヨン期(13世紀前半〜1431年)にあたる約220年間についての体系的な研究が行われることはなかった。しかし、当期には触地印仏陀坐像など他期とは異なった様相を呈す図像も多く、これらの図像を収集し、バイヨン期以前の図像との差異を把握することでアンコール王朝末期の彫刻史を追究することが可能になると考えられる。本研究では、当期に位置づけられる各遺跡の建築装飾や彫刻の資料集成を行い、また同時代資料としてその類似性や関係性が予てから指摘されていたタイにおける資料調査も行った。本稿では、調査成果を踏まえ、ポスト・バイヨン期彫刻の様相解明とタイ同時代資料との比較検討を行うことにより、両者の関係性について追究を行う。2.先行研究ポスト・バイヨン期に関する先行研究は、既述の通り少ない。古くはH. マルシャルが、1925年にポスト・バイヨン期に属する遺跡の一つである西トップ遺跡に関する美術史的、建築学的な見地に基づいた論文を発表している(注1)。― 97 ―⑩ ポスト・バイヨン期彫刻と関連遺品の基礎資料集成─ポスト・バイヨン期とタイにおける同時代資料の図像比較を通して─研 究 者:奈良文化財研究所 国際遺跡研究室 研究補佐員  佐 藤 由 似このようにジトーによる研究以降、ポスト・バイヨン様式はタイとの関連性が唱えられている。そこで次章以降において、カンボジア国内にみられる資料と、タイにおける資料の比較を試みたい。1970年代に入ると、M. ジトーによりポスト・バイヨン期研究は転機を迎える。ジトーはポスト・アンコール期美術に注目し、図像学的研究を行った数少ない研究者である。彼女はポスト・アンコール期に先行するポスト・バイヨン期の遺跡調査を行い、破風装飾を中心に仏教的図像の分析を行っている(注2)。1990年代に入ると、H. ウッドワードは、アンコール王朝末期におけるタイとカンボジアの関連性に着目し、建築学的・美術史学的観点から両国の多様な資料を調査することにより、上座部仏教伝播に伴う様式の変遷を追究している(注3)。さらにウッドワードは2002年にタイ美術と建築に関する著書の中でポスト・バイヨン期と当時のタイとの深い影響関係について論及している(注4)。

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