鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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3.ポスト・バイヨン期の時代背景とその特徴3−1.ポスト・バイヨン期の時代背景ポスト・バイヨン期は、アンコール王朝の最盛期を築いたジャヤヴァルマン7世(1181−1215年)の没後から1431年のアンコール王朝崩壊までの約220年間をさす。ジャヤヴァルマン7世は大乗仏教を信仰し、多くの大乗仏教寺院を建立した。インドラヴァルマン2世(1215−1243年)の後、ジャヤヴァルマン8世(1243−1295年)が王位を継ぐ。彼はヒンドゥー教を信仰し、ジャヤヴァルマン7世時代に建立された寺院において一部の仏像を破壊・改変したとされる。彼の治世にはマンガラーラタというヒンドゥー教寺院が建立されている。シュリーンドラヴァルマン1世(1295−1307年)の治世であった1296年から1297年にアンコールを訪れた周達観は、アンコール・トム内で偏袒右肩で黄色い袈裟を纏った僧侶の姿を記述している。この頃には上座部仏教がすでにアンコール地方に伝播していたと考えられる。しかし1431年にアユタヤの侵攻によってアンコール王朝が崩壊し、王はバサンへ逃げざるを得なくなったとされる。3−2.ポスト・バイヨン期彫刻の特徴前述の通り、当期には政治的・宗教的に大きな変化が生じたため、製作された彫刻類にも変化が生じたと推察されよう。これらの彫刻類にみられる、バイヨン様式とポスト・バイヨン様式の主な相違点は以下の4点である。1 .バイヨン様式の主流であった定印を結ぶ仏陀坐像が激減。触地印の仏陀坐像が増加。2 .バイヨン期には見られなかった、肉髻頂部に火焔状装飾が載る仏陀像が増加。3 .バイヨン期には見られなかった、額と髪の生え際との間に細い帯状装飾の表現をもつものが一部に現れる。4 .バイヨン期には見られなかった、立像にみられる新たな印相(右手を胸前に添え、左手は体脇に沿わす)が現れる。これらの要素は、ポスト・バイヨン期の220年間で起こった変化と推察されるが、既往研究では碑文史料が少ないこともあり、具体的にこれらの相違点について検討した例はない。3−3.ポスト・バイヨン期の遺跡当期に比定される遺跡の多くはアンコール・トム内に位置していることから、本項― 98 ―では、アンコール・トム内に位置する3遺跡に対象を絞り詳述したい。

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