鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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― 99 ―プレア・パリライ中央祠堂はバイヨン期の建立と判断されるが、東ゴープラはその様式からポスト・バイヨン期の造営とみられる〔図1〕。各面のペディメントには仏教説話の場面を描いた図像が彫り込まれている。ペディメントに登場する仏陀像は、坐像のものは菩提樹の下に半跏趺坐で触地印を結び、偏袒右肩で表現されているが、肉髻頂部には装飾は伴わない〔図2〕。プレア・ピトゥ複数の祠堂からなるコンプレックスで、創建年代は祠堂により異なる。最古期でバプーオン期(11世紀頃)にまで遡り、ポスト・バイヨン期の建造と考えられるのは祠堂Xである〔図3〕。祠堂X東正面には仏教テラスが造られているが、中心軸からずれていることなどから見て後世に増築されたものと思われる。祠堂Xの基壇上やその周囲には落下した装飾石材が整然と並べられており、触地印仏陀坐像や花卉文様のペディメント等の部材がみられる。また、祠堂内部の壁面上部には4面全てに触地印を結び肉髻頂部には火焔状装飾を伴う仏陀坐像が一面に表現されている〔図4〕。西トップアンコール・トム内、バイヨン南西側に位置する小寺院で、ラテライト周列に囲まれた寺域内には3祠堂とその正面に仏教テラスが構築されている〔図5〕。9世紀創建の碑文が確認されているが、バンテアイ・スレイ様式の紅色砂岩製リンテル・扉枠・コロネットが最古の遺品である。ラテライト周列の外側には、各祠堂から落下したペディメントなどの装飾石材が数多く並んでいる〔図8〕。ペディメントなどに表現されている図像の多くは触地印を結ぶ仏陀坐像である。また北祠堂偽扉には右手を胸前に添え、左腕は体脇に沿わす姿勢をとる仏陀立像が存在していた〔図9〕。このようなスタイルはカンボジアでは類例が少ないが、タイのハリプンチャイ様式やロッブリー様式にも同様の姿勢をとる仏陀立像を確認できる。また、西トップの発掘調査から出土した仏像〔図6,7〕は、下層から検出された掘立柱痕の放射性炭素年代から、13世紀後半から14世紀代におおよそおさまることが判明している(注5)。従来の研究では、ポスト・バイヨン期にかかわる年代的根拠が乏しかった点を考慮すると、この年代は1つの基準になり得る資料であると考えられる。3−4.小結ポスト・バイヨン期資料には、触地印仏陀坐像や右手を胸前に添える仏陀立像など、バイヨン期には見られなかった図像が新たに登場している。しかし、これらの新

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