鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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注⑴ Marchal H. Notes sur le monument 486 d’Angkor Thom, BEFEO, Tome 25 (3−4), Paris, 1925, pp. 5.おわりにポスト・バイヨン様式は、カンボジアにおける初期上座部仏教美術といっても過言ではない。これらの図像はアンコール・トム内にある当期遺跡の建築装飾や彫刻に多くみられた。これまでこれらの図像の具体的な年代を比定されることはなかったが、西トップ出土仏像の年代が13世紀後半以降、14世紀代頃におさまると考えられ、ポスト・バイヨン様式における一つの指標となり得る。411−416文化復興■』上智大学アジア人材養成研究センター,2011,pp. 5−28― 103 ―⑵ Giteau M. Iconographie du Cambodge Post-Angkorien, Paris, 1975, pp. 113−116⑶ Woodward H. Thailand and Cambodia, Bangkok, 1995, p. 341⑷ Woodward H. The Art and Architecture of Thailand, Leiden・Boston, 2002, p. 169⑸ 奈良文化財研究所『西トップ遺跡調査報告』,2011⑹ 吉川利治「スコータイに対するクメールの影響─遺跡の刻文に関する分析─」『カンボジアの影響を受けたのではないかと考えられる。すなわち、仏像様式に関してはクメールの影響は薄れスコータイ様式が確立されたのではないかと考えられる。ポスト・バイヨン期には、それまでとは異なる形式をもつ仏像が登場した。タイの同時代資料との共通形式も存在し、両者が何らかの関係性を持っていたであろう事は既に述べたとおりである。しかし、定説通りにポスト・バイヨン様式がタイからの影響を受けて成立したと考えてよいのだろうか。ポスト・バイヨン様式は、バイヨン期の特徴を残しつつ、新たに流入した上座部仏教とともに伝来したであろう触地印や火焔状装飾などの新たな表現形式が加わって成立したと考えられる。一方、タイにおいては元来クメールが進出していた地域で上座部仏教を受容することによって新たに生まれた様式は、当初はクメールに近い表現を生み出すのは至極当然の事であるように思われる。そのため、例えば中期ウートン様式等はポスト・バイヨン様式と似通った特徴を呈し、逆にポスト・バイヨン様式は中期ウートン等と類似性が高く見受けられるのではないだろうか。従来、ポスト・バイヨン期は衰退期とされていたこともあり、タイの影響を受け仏像様式も変化したと考えられていたが、そのような一方通行の変化ではなく、新たに流入した上座部仏教の受容を通して両地域で発生した様式の変化であったという可能性も考慮するべきだろう。今後も調査を重ね、さらに追究していきたい。

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