― 109 ―片の蒔かれた厚い雲母地と、金銀箔を磨きつけられた細く棚引く雲霞は、このような静謐な印象を一層高める。ところで、このような構図は類例のないものとかねてより指摘されている(注3)。また紙中極めを行った狩野探幽は、その極めの位置からすると、現在の左右隻を入れ替えた並べ方を想定していたようである。そのような並べ方では、四季の配列がスムーズなものと成らないのだが、その発想の生じた所以は、当屏風の構図が類例の無いものであったことに一因していたのではないか。描かれている主たるモティーフの紅梅、松、紫陽花と小姫百合、竹、紅葉と秋草は浅い空間に並列に、ほぼ等間隔に置かれ、際立った大小差が見られない。見方によっては単純ともいえる構図であるが、個々のモティーフの伸びやかな描写と、シンメトリカルな構図と相俟って、むしろその単純性が、正統的な造形効果を生んでいる。とはいうものの、そのような造形的効果のみから、当作品の構図は発想されたのだろうか。さらに熟視すると、上記した五種の主モティーフは、画面の中で、それぞれ独立した場を与えられている。すなわち紅梅は右端の土坡に、松は苔むしたような地面に、紫陽花と小姫百合は中央の岩に、竹は雲母地の地面に、紅葉と秋草は左端の土坡に、ほとんど他の植物を伴わずに描かれているのである。このような描写は、造形的には、個々の花木の形姿、特に樹木の枝振りを余すところなく鑑賞することを望む欲求に応える表現であり、それは室町時代に高まった作庭や植物愛好に対応するものといえる。と同時にそれは、個々の植物の表象を、鑑賞者に容易に感知させる効果があったに違いない。そのような観点から、次章では、描かれた植物のイメージの伝統を、当作品との関わりの中で見ていきたい。Ⅱ 花木のイメージ梅は、弥生時代から果樹栽培が行われていたが、奈良時代には、貴族の一般的な庭園に植栽された(注4)。『万葉集』には萩と並んで多数詠まれ、143件数える。すなわち梅花に対する愛好が既に高かったことが知られるが、そこには中国文化の影響が指摘されている(注5)。また恋歌と、春日里の梅を詠んだものが散見されることが注意される。次いで、平安人の梅に対する賞玩は桜と並んで殊更高く、特に紅梅を好んだらしい(注6)。文献に頻出する倭絵の画題であるが、花の美を賞玩する人々からなる場面が多く、詠まれている歌は、恋や風流な営みに関わるものが多い(注7)。また梅と竹、梅と松を組み合わせたものがあることが注目される。尚、「こうばい」「くれない」と特に記述したものもあり、紅梅への好尚が窺がえる。さらに12−14世紀の絵巻を見ると(〔表〕参照)、梅は、内裏や貴族邸、僧侶の家の庭に描かれているもの
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