鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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2.細部意匠の特色大内氏と京文化との関係は一般的によく説かれるところであり、社寺建築の外・内観を大雑把に観察するとその差異は認め難いが、とりわけ室町後期の建築については必ずしも京とは直結せず、美術・技術的な細部意匠の独自性が顕著である。1)虹梁端の鈍角状の袖切 一般に全国にみられる中世社寺建築の虹梁袖切の形状は〔図1〕で示すが如く、①〜④に大別される。すなわち、①虹梁全体を斜線とする型。②袖切がなく、捨眉のみの型。③斗に沿って上部が直線で、その端部を弧状とする形。④斗に沿って端全体が弧状となる形が通例であるが、山口では⑤のように袖切上部を水平な直線とし、直線の端部より斜線とした鈍角形状としたものがある。この実例は洞春寺観音堂、竜福寺本堂、石城神社本殿(向拝繋虹梁のみ)、臨海院厨子、東仙寺厨子、今八幡宮本殿、同・宮殿、同・拝殿、月輪寺厨子、清水寺観音堂、園城寺一切経蔵、同・輪蔵、不動院金堂などがある。年代的に検討すると古例は洞春寺観音堂(1430)で、石城神社本殿(1469)、月輪寺厨子(1480)、臨海院厨子(1497)、東仙寺厨子(1499)、清水寺観音堂(15世紀末)、竜福寺本堂(室町中期)、園城寺一切経蔵、同・輪蔵(室町中期)、今八幡宮本殿、同・宮殿、同・拝殿(室町後期)、不動院金堂(1540)と続く。したがって、この意匠は室町中期に出現し、後期で集中して用いられた手法である。2)半割状の挿斗 山口県下の中世遺構の中には根肘木の最下部に半割斗状の斗をあり、その内、15棟が大内氏の本拠地、山口市内に現存している。大内氏は山口の町の周辺に母堂や兄弟等の菩提寺を建立した。即ち、洞春寺観音堂は持盛の菩提寺であったし、瑠璃光寺五重塔は義弘の弟・盛見が兄・義弘の菩提のために建立したものである。しかも、これ等の建築造形的水準も非常に高く優れており、中でも下関の住吉神社本殿、山口の瑠璃光寺五重塔、広島の不動院金堂(注1)があって、中世の日本建築史上に於いても重要な位置を占めている。加えて、この件数は九州一円に点在する社寺建築の文化財指定件数とほぼ匹敵する勢いを示している。山口を中心とする建築の年代分布をみると、鎌倉時代後期1棟、室町前期2棟、室町中期7棟、室町後期13棟、これに加え、山口から移築された室町中期の園城寺一切経蔵(注2)、後期の不動院金堂がある。また、これ等の建築は種類豊富で優れており、九間社流造、三間社流造、和様三間本堂、和様五間本堂、楼門、唐様裳階付仏殿、五重塔、四脚門、多宝塔、その他厨子(宮殿)などがあり、これだけみても山口において中世社寺建築の盛行なことが察せられる(〔表1〕参考)。― 2 ―

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