鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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2.近世画家の大津絵に対する関心(作例紹介)大津絵に影響を受けて制作された近世画家の作品を分析すると、当時の画家の大津― 119 ―は、江戸時代初期から明治に至るまで、大津周辺の宿場町で街道を往来する人の土産品として生産された。およそ寛永(1624−1643)頃から、「阿弥陀三尊来迎図」「十三仏」「青面金剛」といった、仏教・神道などの諸尊を中心に描かれ始め、寛文(1661−1673)頃になると「藤娘」「鬼の念仏」といった多種多様な画題が描かれるようになる。画題の総数は現在確認されているだけでも百十種を越える(注4)。寛文(1660年代)以降に描かれるようになった画題には諧謔に満ちた画題が散見される。例えば「鬼の念仏」は慈悲のない心で念仏を唱える人を表すとされ、「瓢箪鯰」は要領を得ない事のたとえであると解釈される。また「外法の梯子剃り」のように、見る物を楽しませるユーモラスな表現も大津絵の魅力であり、庶民の間で大いに人気を博した。江戸中期頃、享保(1716−1735)頃になると、当時、庶民や町人の間で流行していた石門心学の影響により、大津絵の画中に道徳的・教訓的な内容が添えられるようになった。そして、江戸時代後期、文化・文政(1804−1830)以降は、人気の高かった十種ほどの画題に限定されるようになり、明治に入ると大津絵は人気を失い、やがて終焉を迎える(注5)。人気の高かった十種の画題は「十種大津絵」と呼ばれ、「鬼の念仏」「外法の梯子剃り」「雷と太鼓」「鷹匠」「藤娘」「座頭」「瓢箪鯰」「槍持ち奴」「釣鐘弁慶」「矢の根五郎」のことを指す。専門画家が好んで描いた画題も主にこの十種であった。絵に対する関心は主に次の三点に向けられていたと考えられる。⑴ 画風や運筆に対する関心⑵ 図様に対する関心⑶ ユーモアに対する関心以下、これら三点について実例を挙げつつ検討していきたい。⑴ 画風や運筆に対する関心大津絵の画風や運筆に対する関心を示す作例として、円山応挙筆《美人図》(安永年間・1772−1781頃)(便利堂蔵)〔図3〕が挙げられる。写生を重んじた応挙の画風とは異なり、大津絵風の簡略化した運筆で描かれている。大津絵の《塗笠美人》(日本民芸館蔵)〔図4〕と比較してみると、略筆で描かれた着物の衣文の描写やその模様が酷似しており、大津絵の手法によるものであることは明らかである。河野元昭氏

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