鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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― 120 ―によると、応挙はこの他にも多くの大津絵風作品に筆を染めたとされる。三井寺円満院の祐常門主の知己を得ていた応挙が、大津周辺を往来する際に日ごろ目にした大津絵に関心を持つのも自然の成り行きであったと言える。また、応挙は写生の画家として名を成したが、初期には簡略でスピード感豊かな筆致で仕上げられた作品が少なくないことから、運筆に重点を置いた作画は応挙本来の画質であり、大津絵の画風にも共感をおぼえたのであろうと河野氏は指摘している(注6)。次に、伊藤若冲筆《藤娘図》(個人蔵)〔図5〕においては、奇想の画家として知られた若冲の綿密な写実的描写と特異な形態・色彩感覚はみられず、軽妙な筆致が全面に表れている。大津絵の《藤娘図》(個人蔵)〔図6〕と比較してみると、着物の意匠がわずかに異なるものの、デフォルメされた藤の花房の描写、面貌表現、衣文の描写などは明らかに大津絵の「藤娘」に倣って描かれ、画風・運筆・構図に至るまで、大津絵の「藤娘」を忠実に再現しようとしている様子が窺える。さらに、喜多川歌麿の《江戸仕入 大津土産》(享和2−3年・1802−1803)(個人蔵)〔図7〕は、画面右側に「鷹匠」、画面左側に「槍持ち奴」を配している。華やかな衣装を身にまとい、斜め後ろを振り返る若い男性姿の「鷹匠」は、精緻な線で丹念に描かれ、優美さをたたえている。これに対し、着物の裾をたくし上げ、素足で大槍をかかえた姿の「槍持ち奴」は、太く大胆な筆致で描かれ、優美さや繊細さはみられないものの、おおらかで親しみやすい印象を受ける。「槍持ち奴」の横には「土佐光信門人 又平筆」とあり、「槍持ち奴」は又平が描いたという設定になっている。又平とは、近松門左衛門作『傾城反魂香』に登場する大津絵師であり、こうした素朴で温かみのある絵画表現は大津絵の特徴として一般庶民の間でも広く認識されていたと言える。⑵ 図様に対する関心図様に対する関心を示す作例として、月岡雪鼎(1710あるいは1726−1787)筆《藤娘図》(クラーク財団ルース・アンド・ シャーマン・リー日本美術研究所蔵)〔図8〕が挙げられる。本図は、藤の枝を肩にかけ、着物の片肌を脱ぎ、頭には塗傘をかぶった娘姿であり、大津絵の「藤娘」とほぼ同様の構図で描かれている。しかし、その画風は大津絵とは大きく異なり、浮世絵・美人画家として知られた雪鼎風美人に置き換えられている。雪鼎の同時期の作品である《しだれ桜三美人図》(安永6年・1777頃)(氏家浮世絵コレクション)〔図9〕の右側に描かれた娘と比較してみると、やや面長の顔つきに切れ長の目と小さな口、さらに存在感のある鼻を持ち、両者の間には共通

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