― 122 ―(注7)。このように、何らかの寓意や風刺的意味が込められた作品、あるいは滑稽味に富んだ戯画などに、大津絵が取り入れられるケースが多く見られる。明治5年(1872)以前に河鍋暁斎が制作した《藤娘と鬼図》(クラーク財団ルース・アンド・ シャーマン・リー日本美術研究所蔵)〔図12〕では、「藤娘」と「鬼の念仏」の二つの画題が組み合わせられている。鬼が四つん這いになり、その背中に藤娘が乗り藤の枝に手を伸ばす場面が描かれている。ここでは、藤娘は島田髷を結い、豪華な衣装を身につけた当世風の娘の姿であり、また、鬼は通常みられる持物である奉加帳や鐘などは持っていない。運筆・構図・持物のいずれにおいても、大津絵とは大きく異なるが、「袈裟を着た鬼」、そして「藤」と「娘」などの特徴から、大津絵の「藤娘」と「鬼の念仏」に着想を得たものであることは容易に推察できる。ところで、暁斎は明治4・5年(1871・1872)頃から、「醜」と「美」あるいは「老い」と「若さ」、「生」と「死」など、二つの対極にある属性をテーマに作品を制作していた。明治12年(1879)あるいは、18年(1885)に制作された《閻魔王・奪衣婆図》(林原美術館蔵)〔図13〕は、右幅に閻魔と美女、左幅に脱衣婆と若衆が描かれ、醜い姿の閻魔と脱衣婆に対し、若く美しい美女と若衆を対比させている。四つん這いになった閻魔を踏み台に、若い女が短冊を枝に結びつける右幅の構図は、《藤娘と鬼図》にみられる構図とほぼ同一である。このことから、暁斎は《藤娘と鬼図》においても、鬼と藤娘をそれぞれ「醜」と「美」を象徴するものとして対比的に描いたと解釈することができる。さらに、少し時代が下るが、河鍋暁斎門下の真野暁亭(1874−1934)は、大津絵の「藤娘」と「鬼の念仏」を取り入れた見立図《藤娘と鬼図》(個人蔵)〔図14〕を残している。鬼が藤娘を背負う姿は、『伊勢物語』の「芥川の段」にみられる「男が女を背負う図」のパロディーであり、古くから繰り返し用いられている古典的テーマに大津絵の図様が用いられている。さらに、画面の右端には、絵が立てかけられ、鬼と藤娘はこの絵画画面から抜け出したという設定になっている。大津絵の精が絵から抜け出す趣向は、先述した近松門左衛門作『傾城反魂香』に由来し、その後、大津絵図様を描く際に、繰り返し用いられてきた。本図はこうした何重もの趣向が重ね合わされたユーモア精神に富んだ作品であると言える。以上、複数の大津絵図様を組み合わせた作例をいくつか紹介した。いずれも画家のあそび心が感じられる作であるが、その背景には、「見立て」や「やつし」に代表されるように、ユーモアに富んだ趣向を用いて絵画を楽しむ近世絵画の遊戯精神があったと考えられる。こうした文化的環境において、大津絵が本来持ち合わせていた諧謔
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